挨拶
統一教会員への拉致・監禁被害 をご覧いただきありがとうございます。 
 このサイトは統一教会員への信教を理由とした拉致・監禁・人権被害者支援、擁護、情報の提供、共有を目的として製作しました。

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2007年12月29日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part5

<5>断片的な記憶
 
最初の悪夢のような数日間については、なにがあったのか詳しく覚えていない。断片的には思い出せるが、前後関係がはっきりしない。心に焼き付いたそれぞれの場面の印象が強すぎるのと、その時の精神的苦痛を体が覚えていて、思いだすのを拒んでいるのだろう。
 特に強い印象をもって私の心に焼き付いているのは次のような場面である。 家族が、私を恐ろしいものでも見るような目つきで見つめ、取り囲んでいる。 明かりはついていたのかどうか覚えていない。
 そして家族が「原理を説明してほしい」と迫ってくる。最初のうちは「どうせ真面目に聞くつもりなどないだろう」と言ってかわしていたが、家族は取り囲んで質問を繰り返すので、結局原理の内容を説明することになる。
 私が「原理では、自然を通して神の性質や意図を知ることができると考えています」と説明を始める。すると、兄が「ちょっとまて、一足す一は二だな」と聞いて来る。「……それは、要するに結果を見ても原因がなにか悟ることはできない、という批判ですね」と私が言うと、兄は「そういうことだ」と答える。私がさらに「それは人間に内在する神につながる部分を無視しています」と説明する。すると継母が「でも狼に育てられた子は、どんなに教育しても人間になれないそうよ」と割り込んで来る。キリスト教を信じる人間が、なぜ無神論的な批判をするのか、と怒りを覚える。例えとして、イデア論の話をする。しかし、家族は理解できないらしい。詳しく説明していると、今度は父が「お父さんは納得できないな」と割り込んで来る。他の帰還者に聞いたところでは、反対派のマニュアルには、とにかくどんなに雄弁な説明をされても、「納得できない」などと対応することが、指示されているようだ。妹は、その応酬の間、一言も発せず、部屋の隅で足を抱えて座り、しかめっ面をして、蛇でも見るように私をにらみ続ける。
 
話が寸断され、入れ替わり立ち替わり何度も攻撃されるので、先に進まない。家族は反対牧師のレクチャー通りの批判を繰り返す。どんなに説明しても、家族はもともと聞くつもりなどないのだ。私はため息をつきながら、不毛な「講義」を深夜まで続けた。
 数日間でこのようなやりとりが何回か、繰り返された。
 私の父は、私が中学二年の時に母親が病気で死んで以来、家族のため陰でいろいろと苦労してきた。継母は、私が大学に入ってからもしばしば下宿に訪ねてきて尽くしてくれ、私もさすがに愛のある人だと感心していた。しかし監禁現場では、その同じ人たちが人が変わったようになって私を責め苛んだ。
 しかし私は、どんなに耐え難い扱いを受けても、暴力に訴えることはできなかった。このまま忍耐し続けていくと、気が狂うか、離教に追い込まれるか、どちらかしかない。しかし、家族が怪我をすることを考えると、殴るなどという真似はできなかった。耐え続けるしかなかった。私は反対派によって、家族を「人質」に取られてしまったのだ。
 
兄は一番私に同情的だった。あるとき、私が周囲に対してあまりにも忍耐しすぎるのを見かねて、「少しは暴れたらどうか」とこっそり聞いてきた。それでも耐え続ける私の姿を見て、「どう考えてもお前の方が正しい。ようやく、お前が何を考えているのか分かった気がする。お前が真理だと言うのなら、本当にそうなのかも知れない。俺も真剣に考えてみる」と言って来た。そして「もしお前が追いつめられるようなことがあったら、守ってやる」と涙ぐみながら約束した。
 
しかし兄も次第に反対派の噂を信じて操られるようになり、結局この約束を守ることはできなかった。
ラベル:拉致 監禁

2007年12月25日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part4

<4>家族会議
 監禁が始まって二、三日後の夜、 「家族会議」と称して家族や親族が集まった。父が「お父さんは、統一教会の様々な活動や、見ず知らずの外国人と結婚するのは納得できない。説明してくれ」と迫って来た。いろいろと説明したが、周囲は「納得できない」と繰り返すばかりで、真剣に聞こうとしなかった。
 「家族会議」では、最初のうち、家族一人ひとりが様々な自己主張を繰り返した。妹が演劇調に叫んだ。「お兄ちゃんは気づけないの。私もマインドコントロールにかかってたの。でも逃れたの」。
 妹は大学一年から民青に入っており、最近活動面につまづいてやめている。さらに継母が「私は五二歳、あなたは二六歳じゃないの。私は何年もヨーロッパで暮らして来たのよ。ひよっこになにが分かるの」と言い、後妻として来てからの苦労をぶつけ出した。妹も継母も、私に対して気が狂う寸前まで追いつめながら、どんなに恐ろしいことをやっているかという自覚がないようだった。そして二言目には「みんな分かっていない」と繰り返した。
 
私が思うに、 監禁に参加したメンバーは、本人を苦しめている事に対する罪悪感に苛まれる。さらに、異常な空間へ押し込められることに、全員耐えられなくなって来る。
 だから、かえって自分で自分に動機付けをせずにはいられない。そして「私は今まで、こうでこうだったんだから!」など、 「心の秘密」を暴露しては他人に責任を押しつけ、自分を守ろうとするのである。
 
数日間、怒りをこらえながら周囲の言い分を受けとめ、一つ一つ詳しく答えて行くうちに、 兄夫婦の私に対する見方が変わってきた。「こんな場所に閉じこめられて、そこまで忍耐するなんて、自分には絶対できない。どう見ても、人間的にお前の方が上だ」と言うのである。「周囲はもっとお前のことを真剣に心配しているとばかり思って、(監禁に)協力した。しかし、どう見てもこの人たちは真剣になっていない。こんな不真面目な人たちに、当人が真剣に求めているものを奪う権利はない」と言って、家族や父の知人相手に一生懸命弁護してくれた。
 
しかし逆に「お前はヒデオに洗脳されているんだ」と言われ、周囲に説得されていった。改めて周囲からいろんなウワサを吹き込まれ、「統一教会は恐ろしい団体だ。ヒデオを救うためにはこれが一番いいのだ」と決意し、反対するようになっていった。
 
父は反対派の流すウワサを信じて、ともかく「大変だ」という思いで親戚・知人に頼んでまわり、監禁を始めたらしい。しかし父自身もこれからどうしたらいいのか分からない、という様子が見て取れた。加えて、父はもともとコミュニケーションが不器用である。その姿はあわれすら感じさせた。
 しばらくして、父は子供の頃の昔話を始めた。「お父さんが子供の頃、ある子供が火事を起こして、村中が焼けてしまったことがあった。その子供の親は、子供と一緒に腰に荒縄を締めて村中を謝ってまわったんだ。……ヒデオがやった過ちを償うために、ヒデオと一緒にご迷惑をかけた家に一軒一軒、荒縄を腰に締めて、二人で一緒に廻るんだ…」と言い、感極まってボロボロ涙をこぼして泣きはじめた。
 父の心の中では、その親子の姿と自分の家族が完全にオーバーラップしている。父は今回の監禁に備えて、会社を数年早く繰り上げて退職したらしい。子供に対する愛情のあまり盲目的になり、懊悩する親の姿がそこにあった。
 反対派は、「統一教会は恐ろしい社会悪だ」と言うと同時に、「子供さんが新興宗教に走ったのは、家族関係に問題があったからです」とレクチャーする。そこへ監禁を「勝利」した父兄たちが「家族が話し合って、これまでになく仲良くなった。牧師さんに感謝している」と焚き付ける。親は「うちの子が新興宗教にはいったのは、自分の愛情がきちんと伝わっていなかったからだ。親の生き甲斐は子供だ。私はこれまでの罪滅ぼしとして、救出(監禁)を行わなければならない……」という思いがどんどん増幅されていき、他に何も見えなくなってしまう。子供に対する愛情ゆえに何も見えなくなっている家族を操るのは、じつに簡単である。そして、親の愛が間違った方向にねじ曲げられた結果、恐ろしい犯罪が生み出されるのである。
 こうして、とうとう家族は全員、反対派によってさまざまなウワサを吹き込まれ、完全に「コントロール」されるようになった。私は孤立無援となった。

2007年12月21日

■エキスポ誘致效果を受ける麗水の不動産

◆統一教財団が最大の恵みを受けると期待

麗水(ヨス)エキスポ誘致に先立ち、麗水に土地を買っておいた企
業がかなり多い。代表的な所が統一教財団。統一教財団が持分(
もちぶん)を保有している(株)イルサン(一上)は、麗水市華陽面(
ファヤンミョン)に18ホールの大衆ゴルフ場を建立する最終許可
を受け、12月下旬に着工して来年末に完工するという計画を立て
た。ゴルフ場近隣にペンション団地を造成する一方、会員制ゴル
フ場を追加として造成する方針である。ゴルフ場敷地は眺望が大
変良い。

記者が乗ったタクシーの運転手は、「エキスポ誘致で最大の恵み
を受けた所は三星も現代でもない統一教財団だ。もうずいぶん前
からオーシャンリゾートを含めゴルフ場、コンベンションセンタ
ーなどを建設する計画を立てたが、エキスポ誘致で開発が本格化
されるだろう」と説明する。

イルサンは華陽(ファヤン)地区総987万平米(約300万坪)の敷地に
総事業費1兆5000余億ウォンを投資してゴルフ場、世界民俗村、
乗馬クラブ、ホテルなど総合リゾート団地を2004年から開発して
いる。

麗水市のソホ洞一帯にも11万2300平米(3万4000坪)規模のオーシ
ャンリゾート特区を開発中である。総2000億ウォンを投入して観
光ホテル、ウォーターパークなどを建設している。来年麗水で開
催する全国体育大典(たいいくたいてん)に備えて来年中盤までに
オーシャンリゾート建設を完了するという計画である。

この外に李健煕(イゴンヒ)三星(サムスン)グループ会長は麗水の
ソラ面の林野と無人島など合わせて8万2600平米(2万5000坪)の土
地を買い入れた。エキスポ誘致の一等功臣(こうしん)としてあげ
られる鄭夢九(チョンムング)現代キア車会長も開発を本格的に推
進すると知られている。韓火石化(ハンファソクファ)や南海化学、
湖南(ホナム)石油など麗水一帯の土地を保有している企業も喜色
(きしょく)を帯びる雰囲気である。

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●参考

▼イルサンの會長
黄ソンジョ會長。世界平和統一家庭聯合の第11代韓國會長。53歳。

▼麗水のファヤン地区のリゾート団地
987万uは、正方形にすると、一辺が3.3キロの正方形。2439エー
カー。1兆5000億ウォンは日本円で1828億円、アメリカドルで16
億ドル。

▼麗水市内のオーシャンリゾート
11万uは、正方形にすると、一辺が335mの正方形。約27エーカー。
2000億ウォンは、日本円で244億円、アメリカドルで約2億ドル。


▼原文記事(韓国:毎日経済 2007年12月15日土曜日)
http://news.mk.co.kr/newsRead.php?sc=30000004&cm=&year=2007&no=686097&selFlag=&relatedcode=&wonNo=&sID=302
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知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part3

<3>監禁現場での生活
 
 最初に監禁されたのは、新潟、新津市のロイヤルコーポ五〇五号室である。
 和室が二つに、食堂兼台所、トイレ、バスルーム。部屋の感じは少し古目で、質素な旅館といった雰囲気である。家具はテーブルぐらいで、ほとんどない。ゴミもほとんどでない。掃除機がなく、転がすタイプの紙のゴミ取りを使う。
 空気は少しカビ臭い。換気ができず、息がつまって咳き込む。こんなに長い間換気なしで、よくも酸素欠乏にならないものだ、と感心した。湿気がこもるので毎日除湿機を回す。布団は全員の分だと押し入れに入りきらず、畳んで部屋の隅に積む。日干しができないので、だんだん湿って行く。
 
 ライフスタイルは夜の間ずっと起きていて、朝寝て昼起きる形になった。そうする方がまだ精神的に楽なのである。何と言っても外とは隔絶された環境であり、夜寝て朝起きるのが健康、という常識は通用しない。最初は無理に夜寝ようとしていたが、寝ていても逃げ出す夢、追いかけられる夢、自分が離れる夢などに苛まれる。結局夜の間緊張してずっと起きていて、朝、スズメの声が聞こえて、部屋が明るくなってくると、ホッとして疲労と共に寝る形になる。
 
 マンション内で私が行動を許されるのは、トイレ・風呂を除き三部屋だけである。後で聞いたところでは、広さとしてはこれでもまだマシな方で、この半分ぐらいの場所で監禁されていた人もいるとのことだった。常時いるのは、父、継母、妹、兄夫婦である。さらに、出入り禁止の「控え室」に二、三名ずつ、親戚や父の職場仲間が交替で泊まり込む。
 
 マンションの表のドアはチェーンをたわめて南京錠をかけ、開けられなくしてある。窓は障子戸を閉めてカーテンが閉め切ってあり、開けようとして近づこうとすると、兄が「ダメだ」と追い返す。私が「どうして」と聞くと、父が「ヒデオが気が狂って飛び出すからだ」と答える。後で確認したが、窓は外から見ても分からないように改造して、特殊なカギを取付け、固定してある(ドイツ製のカギだそうだ)。
 
 流し台の開き戸が自転車用のチェーンロックで開かないようにしてある。
 私が「これは何のつもり」と聞くと、兄が「ああ……マニュアル通り」 と答えた。兄は、監禁に対して最後まで反対していたらしく、あまり隠し事をしようとはしない。父が「そんなマニュアルなんてない」とうそぶく。いきなり、隣の部屋にいた妹がガラリと襖を開け、「お兄ちゃんが不本意に人を傷つけるといけないからよ。愛の現れなのよ」と言う。「お兄ちゃんは、どうして人のことばかり勘繰るの。食事中だってちゃんと話をしようとしないじゃない。みんな心配してるのに……」と言葉を続ける。「こんな環境に無理矢理押し込めておいて、なんという勝手なことを言いだすのか」と思ったが、ぐっと耐える。
 
 食事はプラスチック容器で出される。私が「何でプラスチックなの」と聞くと、父が「ヒデオが投げつけるといけないからだ」と答える。また怒りをこらえる。毎回、食事が出されるたびにクツジョクをこらえつつ、狂人扱いの象徴であるプラスチック容器をつっ突く。要するに、精神病院の隔離室そのものである。
 
 監禁現場には男性がいつも二、三人居なければならないことになっている。やって来るのは総勢二十〜三十人で、毎日ローテーションを組んで、いろいろな人がやって来る。「なぜ男性がいなければならないのか」と家族に聞いたら、「私ときちんと話ができるだけのしっかりした人が必要だから」という答えが返って来た。話合いをするだけなのに、男性も女性も関係ないと思う。本音は、私が暴れだした時、取り押さえるためである。
 
 監禁現場にやって来るのは、親戚や父の知人などである。私はやって来た父の知人のほとんどに、面識がなかった。本来は、監禁に親戚以外の者が加わるのは法律上、好ましくない。しかし父が親戚に監禁に加わるように頼みに行っても、必要な人数が揃わなかったので、職場関係の知人にも頼んだのだそうだ。
 
 もともと父は共産党活動を三〇年やっており、父の知人はすべてその関係である。共に労働組合などで運動して来た仲間として、「救出」をしたいという父の頼みにもこころよく応じた、というところであろうか。
 
 親族や父の知人が入れ換わり立ち替わりやって来る。食事の場にも加わり、統一教会への嫌味ともつかない話をしたり、私に対する訓戒めいたことなどを言っては帰って行く。中には統一教会に対して「韓国中心主義」「ファシズム」など、露骨に敵意をぶつけて来る人も居る。

ラベル:拉致 監禁

2007年12月16日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part2

<2>携帯トイレ

 無理矢理乗せられたワゴン車は、カーテンを閉め、外が分からないまま走り続ける。乗っているのは十名弱で、横には父と叔父さんがすわり、暴れださないように手を握っている。停車を全くしないので、信号のない高速道路を使っているらしいことがかろうじて分かる。
 数時間後、「トイレに行きたい」と言うと、「ダメだ」と言う。「逃げないってば」と言っても、全く信用しない。「権利があるはずだよ。人権侵害しないで下さい」と言うと、父が泣き出しそうな声で「携帯用のトイレがある」と言う。幅十センチぐらいのヒモ状のゴムを渡して来る。使い方が分からないので説明してもらう。「ゴムのこっちの口にあてて…」。薄暗い中でよく見ると、ゴムは袋状になっていて、一方の端に口が開いている。
 
 異常な状況下におかれると、不思議なことに時間が凍ったようで、かえって自分がどんな感情を感じているのか分からなくなる。理性が感情についていかないのである。ただ、体が硬直して、震えているのがわかる。「ああ、そうか。自分はいま、怒りのあまり、震えているんだな」。屈辱に身が震える、とはどういうことかを初めて知りながら、携帯トイレで用を足す。暴れようという気にはならない。いまこの人たちに何を言っても、無駄だということは分かっている。父は何度も「すまんのう」と繰り返す。
 
 「誰がこんなことを考えたの」と聞くが、返事がない。もう一度聞くと、「多恵子(継母)がキリスト教をやっているから、勉強したんだ…」とはっきりしない声で父が答える。
 さらに長い時間が走り続けて車が停まった。ドアが開けられ、とてもまぶしく感じた。降りたところはどこかの地下駐車場らしい。
 また取り囲まれて、エレベーターまで移動する。エレベーター前には見知らぬ顔がずらりと並び、一人が父に向かって「ご苦労様です」と言う。
 
 「ここはどこですか」と聞くと、「言えない」と、また継母にニラミ付けるようにして言われる。
 「じゃあ、帰ることも許されず、連絡もとれず、場所も教えられないんですね」……いきなり継母が「大きな声を出すと、タオルを口につっこむよ」と険しく早口で言う。ショックを受け、そこでおもわず口が利けなくなった。
 
 エレベーターで五階まで上がり、マンションの一室までなだれこむように連れ込まれる。風呂に入るように、と言われ、入っている間に財布・カバンなどすべて持ち物は取り上げられる。車に連れ込むとき「財布・カバンは取らない」と約束したはずだが、そんな約束は結局建て前だけである。
 
 監禁の最初の夜は、親族・父の知人など十数名が監禁現場で雑魚寝するが、みんな寝つかれないようである。周囲は「統一教会員は、こういう環境になると暴れだす」とレクチャーを受けており、私が身動きするたび、逃げ出さないかと緊張する。とにかく一人になりたいが、許されない。一挙手一投足に至るまで絶えず見張られ、気の休まる時がない。
 
 これ以降一週間は、あまりの緊張からほとんど一睡もできない。体は疲労し、意識も朦朧とするが、神経が興奮したままおさまらないらしく、二、三時間ウトウトしては目が覚めてしまうという状態が続いた。二四時間続く緊張感が胃腸にも影響し、固形物がなかなか消化できないため、食べられるのはお粥ぐらいになってしまった。

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