挨拶
統一教会員への拉致・監禁被害 をご覧いただきありがとうございます。 
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2008年01月31日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part14

<14>
●反対牧師の登場
 
 七月に入ったある日のこと、マンションに禿げた頭の中年の男性が訪問してきた。私は一見して、高校の社会の先生かなにかのような印象を受けた。たれ目と度の強そうな眼鏡、短い眉毛などから、パンダかアライグマを連想させられた。手には、黒いナイロンの手提げ袋をもっている。何か分厚い本が入っているらしい。
 その男性は家族と目配せをしたり、上から下まで私をじろじろ見たりした。家族は、私を壊れ物でも扱うように心配げに見ている。私は、周囲の雰囲気からこれが反対牧師だと直感し、緊張した。
 これが日本同盟キリスト教団所属、新津福音教会の松永牧師だった。私はそれまで、その牧師のことは何も知らなかったが、後で聞いたところによると、優秀なディプログラマーであり、全国から・相談・を請け負っているとのことだった。
 私は、その時「やっぱり家族は最初から牧師と相談の上やっていたのだ……」と思い、改めてショックを受けた。それまで家族は、私に対して「反対牧師には連絡していない」と説明していたのだ。後で家族が話して来たところによると、家族は監禁を始める二年も前から、家族全員が松永牧師の主催する、父兄会なるものに参加し、さまざまな講習を受けていたのだ。
 
松永氏が「どうですか」と言いながら机に座ると、すこしオーバーな素振りで私を見た。その態度には「負けるものか」というプライドのようなものがにじみ出ているように感じられた。手に持っていたナイロン袋を開けると、中に入っていたのは『原理講論』だった。
 私が「『原理講論』はよく読まれるんですか」と聞くと、松永氏は「……まあ、君達よりは、詳しいよ」と答えた。さらに私が「最初にお聞きしますが、あなたは統一教会に反対する立場の人ですか」と聞くと、松永氏は「……それは、言えない」と言いにくそうに言った。それから雑談が続いた。
 松永氏は、くせのある話し方で、得意になって話すときには少し口を突き出すようにする。少し話した感じでは、性格的に一癖も二癖もある、面白いおじさんである、という印象を受けた。
 松永氏は二、三の資料を「読んでおくように」と言って帰って行った。
●ノックの音
 ちなみに、松永牧師はノックの音も他の人と違うので、すぐに判別することができた。監禁されていた期間、私はノックの音だけで誰が来たのか大体見当がついた。
 これは、長い間閉鎖空間に閉じこめられて、精神が敏感な状態になっていたことと、とにかく周囲には何もないので、ノックの音一つにも相当興味が行ったためだろう。
 マンションではドアを開けるための合図も決められていて、いつも「コンコンコン、コンコンコン、コンコンコン」と、3掛ける3回ノックしていた。モールス信号の「SOS」と同じである。このノック一つとってみても、それぞれの心理が現されているようで、興味深かった。
 大抵の脱会者は、少し遠慮がちな音で、「まあ、聞こえなかったら、それでもいいや」というような感じである。
 家族のノックはせわしない感じである。「早く開けて。誰か来るといけないから」という追いつめられた気持ちがにじみ出ているように思われた。
 これらに比べて、松永氏のノックは音が乾いた感じで、一つひとつゆっくり区切るようである。また、最初の間隔に較べ、終わりの方はいつも少し遅めになる。私は、このノック一つにも松永氏の「負けるものか」「文句あるか!」という自己主張がくみ取れるように思った。

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part13

<13>
 依然として脱出の機会が見つからないまま監禁されて、二十日近くが経過した。
 私は、血でメッセージを書く作戦を思いつく。何かのすきを突いて、窓の外に投げるチャンスがあるかも知れない。まず、そーっとゴミ箱の中から手のひらぐらいの大きさの紙を拾う。当然、監禁場所に刃物などを置いてあるはずがない。それでとがった針金を見つけだした。
 トイレに入って靴下を下げ、思い切って足首のあたりを針金で何度かガリガリと引っかくと、血がにじみ出た。それを指に付けて「カンキン・たすけて」と書く。
 外に出られるチャンスを待ちつつ、この血文字をポケットに隠し持っていた。しかし、偽装脱会のメドがついた時点で、見つかるとかえってまずいので、トイレに流して処分してしまった。今思うと、記録として残しておけなかったのが残念だ。
 六月末、父親がノートと筆記用具の入ったカバンを返してくれた。今度は窓に張り紙をする方法を思いついた。
 七月一日の朝、目が覚めると、隣の部屋では父の古い知り合いが二、三訪ねてきて、父と話し込んでいる様子だ。私のいる部屋のふすまは閉まっているが、話に夢中で私のことはあまり意識をしていないように思われた。
 他の脱出に成功した人の話によれば、監禁現場では本人の行動を二十四時間監視するため、ふすまを全部取り外すこともあるそうだ。また、トイレにまでついてくる親もいると聞く。私の場合、親はそこまではしなかった。
 親としては、子供への心配と不信とが入り交じった心境で、四六時中、子供を監視するということが異常だと感じていながら、自分でもどうしようもないのだろう。
 私は、音を立てないように気をつけながら、ノートの一ページに一文字ずつ「監」「禁」「助」「け」「て」と書き、原理研究会の連絡先もあわせて書いた。隣の部屋の者たちはまだ気づいていないらしい。
 …………

 以前怪我をしたとき、家族からもらった治療用のテープがある。私はメッセージを書いたノートをテープでつなぎ合わせ、外から見えるように窓の内側に貼り付けた。
 もちろん、こんなことをしても外との連絡が取れる可能性はほとんどないことは分かっている。私としては、これで脱出のための努力にケジメをつけたかったのである。

 家族に暴力を振るって出ることなど、私にはとてもできない。だから、外部と連絡を取って、救出を待つという方法がダメなら、手っ取り早く反対派の人間に会って、彼らの言いたいことを聞いてやる以外に道はない。
 こう例えると、何か傲慢なように聞こえるかも知れないが、イエス・キリストはゲッセマネで、「十字架を避ける道はないのか」と祈られ、それが不可能だと悟られてからは、神のみ旨として、進んで十字架の道を選ばれた。私自身もそうありたいと思ったのである。
 すぐに張り紙は見つかり、はがされてしまった。隣の部屋で寝ていた誰かがこちらの気配に感づいたらしい。父たちは良心の呵責があるからか、私が張り紙をしたことを責めようとはしない。このとき、私は物理的な脱出を完全にあきらめた。以後も脱出のための努力は一切することはなかった。
 父がまた「牧師さんを呼ぶが、英雄は会っても構わないか」と尋ねてきた。私は「呼びたいなら、呼べばいいんじゃないの」と半ばうんざりして答えた。父は「英雄の気持ちが大事だから……」と口をもごもごさせている。結局、私は積極的な気持ちではなく、「(父に何度も聞かれて)面倒だ」という気持ちから、牧師に会うことを承諾した。翌日、松永牧師と対面することになるのである。

2008年01月30日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part12

<12>私の祈りと決定

●み言で裁く脱会者たち
 
 私が監禁されて、一つだけどうしても知らなければならないと思ったことがあった。それは、今の私に対する天の願いがどこにあるのか、ということである。
 最初の頃、マンションに訪ねてくる脱会者は口々に「これも神の与えた環境なんだから、堂々と親を説得して出ていけばいい」と言ってきた。しかし、私は、将来に対する見通しも考えず、ただ自分の信仰を過信して信仰的にマイナスの内容をずっと聞かされ続け、みすみす脱会へ追い込まれるようなことになるのが神の願いであるとは思わなかった。
 脱会者は、ほとんど全員が「周囲を堂々と説得しよう」と考えてそれを実行した結果、離教した様子を話してきた。子供が親を説得するなど、並大抵のことではないのである。私は、一人で親を説得できるほど、自分に信仰や人格が備わっているとは思わない。逆に彼らは、自分を過信した結果、離教してしまったことを自分で証明している。
 私の選択は、最終的に偽装脱会という形になった。これについても、逃げただけなのだろうとか、ウソをついたのだ、と思う人がいるかも知れない。
 しかし、私の実感を言おう。
 周囲は勝手に監禁を始め、勝手に終わったのである。
 私は監禁中、特に脱会していると信じさせるために何かをしたという覚えはない。私は偽装脱会であることを何度も疑われ、そう聞かれた。私はその度に、反対派の言う内容を理解していることを示して、「これだけ分かっていれば、普通統一教会には戻らないんじゃないですか」と答えただけである。大抵は2、3ヶ月も反対派の言うことを聞いていれば、全て一通り聞き終わってしまう。あとはその内容を理解していることを示せば、向こうは監禁を続ける理由がなくなってしまうのである。

●家族をコントロールする反対派
 
 もし、監禁されて「ここで堂々と親を説得しよう」などと考えていると、半永久的に監禁は継続されていくだろう。なぜなら、家族は、本人に対する愛情ゆえに、反対牧師によって簡単にコントロールされてしまうからだ。本人が真剣に訴え、周囲がその話に感動しても、反対牧師や反対グループの父兄たちが統一教会への悪いウワサを一言言って揺さぶるだけで、親の態度はまた一八〇度変わってしまう。これを繰り返すうち、本人もやがて周囲を説得するのに疲れてしまうのである。
 家族の中で、本人と心情的に近い兄弟や母親はキーパーソンと呼ばれる。このキーパーソンは、最初のうち、本人にも理解を示し、監禁には反対していることが多い。しかしそのうち反対派の様々なうわさに操られるようになる。そして本気で本人のことを心配し、命がけで脱会させようとしてくる。そのペースに巻き込まれると、本人は「本気になっている家族に対して、申し訳ない。家族の私に対する心配は、私の信仰を守りたいという思いよりも強いのではないか」と感じるようになる。そして本人の信仰的内容はどんどん外に引き出して相対化され、最後には離教へ追い込まれてしまう。……これらはすべて、反対派の出している本に記載されていることである。
 脱会者からは、監禁されて断食をする人も多いと聞いたが、私は、断食は一切やらなかった。自分の気力がもたないだろう、と思ったこともあるが、こんな環境で断食をしても、自分の信仰を周囲に見せびらかして、自己満足で終わってしまうことにしかならないと思ったからである。
 ここで私は、確実に今の私に対する天の願いを知らなければならない、と思った。
 私は祈った。
 そして、いったん外に出るため具体的な行動を起こして、それで導かれないならば、この環境を甘受することが天の願いであると信じ、偽装脱会しようと心の中で決めた。
 まず、玄関のドアに行ってみた。一言で行くと言っても、たやすいことではない。最初の頃、玄関に通じる廊下は、誰かがふさぐようにして寝ていて、通れなかった。何日かたつと、次第に廊下を空けて寝ることが多くなった。そこである日、私は朝までずっと寝たふりを起きていて、朝5時ぐらいにトイレに行くふりをして立ち上がり、急に玄関まで走っていった。
 しかし、玄関のドアは、南京錠を使ってチェーンが短くしてあり、かなてこのようなもので壊すか、鍵を使わないかぎり開かないようになっていた。まさに万全の準備が整えられていることがわかった。鍵を手に入れるためには親に暴力を振るわなければならない、というわけである。
 寝床に戻ると、しばらくして周囲がいびきを立て始めた。周囲も起きていて、私が外に出ることをあきらめたのを確認し、改めて安心して寝入った様子だった。どうやら周囲は、私の心の内を知るために、わざと警戒を緩めたふりをして、出方を窺っていたらしいのである。「うまくはめられた……」と思い、思わずにが笑いが浮かんで来た。

2008年01月29日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part11

●反対派の作り出した・監禁地獄・

 私が監禁されて、非常に葛藤したことがあった。周囲を説得して出してもらうことは不可能。脱出も不可能。あとは、親を殴ってでも出る方法以外、全く選択肢がなかったのである。
 たとえ私がどんなに真剣に訴え、周囲がその話に感動して、親の方に迷いが生じるようになったとしても、反対派が何か一言言うだけで、親の態度は急変してしまう。周囲は私に対する愛情ゆえに、反対牧師によって簡単にコントロールされてしまうのだった。
 
 例えば、監禁の終わり頃の話になるが、ある時期、継母が「もうこんなところにいるのは嫌だ。富山に帰る」と言いだし、家族で話し合っていったん監禁を終わることになった。しかし次の日、継母は松永牧師に「せっかくここまでやったのに、今までの苦労が無駄になってしまう」と・諭され・て決意を翻し、また家族は監禁を継続することになった。また、後で家族から聞いた話だが、私の父は、監禁を行う前に、反対派の行っている講習会で「監禁しか方法はないのですか」と質問したところ、中心的な父兄から、「あなたは何も分かっていないのだ」とものすごい勢いで追求を受け、監禁を決意するようになっていったそうである。
 また、脱出経路について、私はロイヤルコーポ五〇五号室の風呂場とトイレをこっそりと点検してみた。しかし、ユニット形式で窓もなかった。天井からも抜け道はなかった。、完全に密室状態だった。一度、隙を見て玄関のドアのところに行った。しかしここにも南京鍵がかかっていた。親から鍵を奪わない限り外へ出ることはできなかった。
反対派は、結局、本人が何をやってもどん詰まりになるように仕向けるのである。そして最終的に親を殴ってでも出るしか、道をなくさせてしまうのである。私にそんな真似ができるはずがなかった。まるで親を人質に取られているような気がした。仮に親を殴って出たとしたら、反対派はまた「統一教会は親に暴力を振るえと教えているのだ」とザン訴の材料にするだろう。、
 
 監禁された統一教会員は、全員、こうした葛藤に苛まれる。反対派は、統一教会員の信仰的なところや、親を大切にしたいという思いに付け込んで、このような・監禁地獄・を作り上げてしまうのである。
 どうして反対派は、こんな風に家族を巻き込んで・監禁地獄・など作るのではなく、ストレートに説得をして、要件だけ話して終わることができないのだろうか。私は切実にそう思う。
 私の家族は全員、反対派の言うことを素直に信じ、私を監禁して、貴重な時間と、心情、労力、金(今回の監禁に、五百万円使ったそうである)、社会的地位などをまったく無駄に費やしてしまったのである。反対派は、この責任をどう取るつもりなのだろうか。
ラベル:監禁 拉致

青波洞本部教会,文亨進牧師の人生と宗教活動

韓国の主要グラビア雑誌「HEADLINE NEWS」2008年1月号に掲載された文亨進様に関する記事

<原文>
http://uc40.jp/pdf/HeadlineNews200801.pdf


青波洞本部教会,文亨進牧師の人生と宗教活動

世界平和統一家庭連合,いわゆる統一街に静かな変化の風が吹いている。教団創立期以後活躍してきた1世達のバトンを受け継ぎ2世達が宣教と企業経営の現場で活発な歩みを見せている。

勿論これまでも統一グループ内においてはかなりの世代交代が行われてきたが、近頃2世達の前面配置が断行されるに伴い草創期に劣らぬ活気に満ちて溢れている。

1979.9 米国、ニューヨークのウエストチェスターに生まれる
2003.5 米 ハーバード大学哲学科卒業
2005.12 チベット指導者ダライラマに謁見
2006.5 米ハーバード神学大学院卒業
2007.12 本部教会牧師に就任


生活の中に幸福と平和を追求し、勝利、悟り、平和の精神を伝える牧会活動を繰り広げること。

世界平和統一家庭連合の創始者文鮮明総裁の末の息子である文亨進牧師が、去る12月1日ソウルの青波洞にある本部教会の牧師に就任したことがその代表的な例だ。韓国家庭連合の象徴である本部教会は、これまで文総裁が直接牧会を行った由緒ある場所であり、歴代協会長が担当教会長を兼任してきた長い伝統を持つ。

しかし文亨進牧師の就任により宣教の第一線において新たな風が起こり、世代交代はますます加速するものと予想されている。文牧師はアメリカニューヨークのウエストチェスターで生まれ、ハーバード大学の哲学科を卒業し、ハーバード神学大学院で世界宗教学を専攻するなど伝統エリートコースを歩みながら宗教指導者として信望を集めてきたという点で注目を浴びている。

●成功を収めた牧会経験

文亨進牧師は、去る7月からソウルの麻浦教会で‘天一国食口礼拝’という表題の下に最初の牧会経験を積んだ。伝統的な礼拝とは全く違うこの礼拝は、大きく分けて歓迎の章、讃美(讃揚)と感謝の章、説教と誓いの章などから構成され進行する。特に大部分が説教を聴くことだけで終わる既存の礼拝形式とは異なり、牧会者と信徒達が呼吸しあう躍動的な形式を志向するところが異彩を放つ点である。

‘天一国食口礼拝’は、第一に夫婦で行うことがその特徴である。彼は礼拝開始の30分前から妻の李ヨナ牧師と共に礼拝に参席した信徒一人一人を温かな笑顔と愛の心で迎え、礼拝が終わった後も同様に一人一人の日常での意義深く幸福な人生を祈りつつ見送るのだ。また、彼は礼拝プログラム中第1章である歓迎の章を婦人と共に執り行う。

この礼拝が突風を捲き起こしたのは、
△神は審判の神ではなく、愛の神である
△神の目から見る時全ての信徒達はVIPである
△日々の人生においてわずかでも多く勝利し、より多くのことを悟り、より平安に生きていこう
△神に讃美と栄光を返そう、といった核心価値のためである。

またこの礼拝は、教会の信徒と家族、そして霊界にいる先祖のために精誠を尽くす目的で誠愛の蝋燭をともし、讃揚の時間に重点を置いた。

瞑想も礼拝の特徴だ。二度の瞑想の中で最初の瞑想は礼拝を捧げるために準備する時間であり、最後の瞑想は、説教後に神を中心としてその日のメッセージを受け取るための時間である。

一方、一週間の生活の中で困難に見舞われた信徒達のために一対一で祈る時間を持ち、続いて霊界と地上の家族を回想する時間を持つのも伝統的な礼拝には見られない儀式である。

このプログラムは、始まるとまず目を閉じて常に霊界から協助している先祖と家族を思い出し、感謝の思いで祈祷を捧げる。次に地上で共に生を営んでいる大切な家族に感謝する時間を持つ。この時家族が共に礼拝に参席していれば、愛の心をこめて互いに温かく抱擁しあう。

勿論礼拝の核心は説教である。彼は説教中決して複雑で理論的な教理に触れることはしない。真理のみ言を土台にはしているが、実生活において自らが直接経験し実践する中で悟ったことを伝える。

麻浦教会では‘天一国食口礼拝’を通して多くの信徒が感動を受け変わった。聖日礼拝は1部から4部に拡大されるなど、短期間に急成長した。

文牧師がこの礼拝を通じて推進しようとしたことは、教会刷新である。彼は教会の牧会分野全般にわたって、新しい文化運動を展開しようというのである。

文牧師が麻浦教会での4ヶ月間の務めを果たし、12月1日付で本部教会に異動になったことには特別な意味がある。勿論周囲は、彼が家庭連合の2世指導者として新たなリーダーシップを示すであろうと考えている。

●純粋な情熱,謙遜の感動


統一街での文亨進牧師に対する信頼には並々ならぬものがある。それは純粋な情熱と、彼の信徒たちに対する姿勢のためである。常に低姿勢で信徒達に接し、これまで教会の発展のために苦労した先輩達に感謝を忘れない。

彼はいつでも信徒達に謙遜な姿で接する。信徒達の心に深く刻まれた彼の代表的な謙譲の事例は洗足式だ。2006年2月、5000名余りの信徒が集う講演会で‘み言を多く語るより’実践が重要であるとして壇上から降り、草創期の元老信徒一人とアフリカ出身の黒人信徒の足を自ら洗ってやった後、長い間抱擁しこれまで苦労してきたことに対し感謝を表した。

そして再び壇上に上がると涙をこらえながら「白人であれ黒人であれ毎日を一生懸命に生きている全ての方々、真の父母様の心情の中で一つになりましょう。」と力強く講演した。しばしば涙を流しながら説教をする彼に対し、信徒達はこの上なく純粋で深い感動を呼び起こされ、共感の絆が形成されている。

文鮮明総裁は、公用に忙殺され子女達の世話をする時間がほとんど無かった。そのため幼い子女達にとっては、両親の横にはいつも信徒達がいて自分らの居場所を占領し、自分達から親を奪ってきたという恨みを抱いたとしても不思議ではない状況だった。

しかし文牧師は成長するにつれ両親のみ旨を理解するようになり、信徒達の苦労が目に映り始めた。また文総裁の教えを、父母と子女という関係よりは信徒と同じく弟子の立場から見るようになった時に大きな変化が生じた。

文牧師は毎月一週間ずつ日本の教会を訪問してきた。苦労している日本の教会信徒達を慰労し力づけるためである。日本の教会のうち相当数は宿泊施設が備わっていないため来客を迎えるのが大変である。

過去数ヶ月間に40余りの教会を訪問する中で、ある時はシャワー施設が無いので濡らした手ぬぐいで体を拭き、ある時は事務室の床で寝袋生活を送りながら現地の信徒達と打ち解けた出会いの場を持った。朝食や昼食はハンバーガーで済ませることも多かった。

文牧師は、自分は兄弟達の中で一番勉強が苦手だったと何の気兼ねもせずに話す。時々冗談で、兄や姉達が‘トウキビ畑’を栽培している時に、自分はトウモロコシ(成績表で最も低い点数‘可’)を育てていたと周囲の人達に話す。

幼い頃勉強に関心が無く、成績の良い模範的な学生ではなかったが、周囲の親達からほめられる子供だった。同年代や年下の子供達と一緒の時はいつも彼らを守ってやり、面倒をみてやったという。

そして普段は自分よりも年上の子達とよく遊んで過ごした彼は、成績表にAをもらって一流大学に通う兄達を見習い再度勉強に専念。アメリカの名門ハーバード大学に入学する。2006年5月ハーバード神学大学院を卒業する際には、統一教を代表して卒業演説と祝祷を行うほど模範的な学校生活を送った。

●東洋思想に心酔,世界宗教指導者との交流

文亨進牧師は大学時代から東洋思想に心酔した。現在の彼は、外見上は20代の普通の青年と変わらない姿だが2000年からの7年間余り、髪を剃り僧侶達が着る改良韓服を着て過ごした。この期間、夜中の2時30分になると起床し、祈祷と瞑想をし深い内面世界を探求した。

「ここ数年垢抜けた背広と洒落たヘアスタイルに代わり、きれいに剃髪した頭にアジアの伝統的な法衣をまとった私の、変化した姿を多くの人は見てきたことだろう。けれども大部分の人々は何故そんな変化が起きたのかについてはわからない。ただ、『いやはや、彼に一体何があったんだろう。急にお坊さんになってしまって。』とか、『そっとしておこう。武術にハマっているだけだ。そのうちにまた変わるさ。』などと言っているだけなのである。」(文亨進著「坊主頭と苺」から引用)。

彼が頭を剃り、長い灰色のトウルマギ(韓国の伝統的な外套)を着て座禅と瞑想に精進する姿は、一見父親とは違う道を歩んでいるかのように見える。そのため文総裁に従う一部の教会指導者はも、彼の宗教的修行法に対して憂慮することがあった。文牧師自身でさえ自分のこのような修行について、父親である文総裁からの厳しい叱責を覚悟したという。

けれども文総裁は、深い愛と理解をもって受け入れてくれた。そして文総裁は、「勉強を続けなさい。世界の全ての宗教を勉強しなさい。お前がすべての宗教を理解し、かき抱くことができたなら神が最も愛する人になれる。」と激励を惜しまなかった。

彼は、「率直に言って99.999%の信徒達が、甚だしくは父と至極‘近い’立場にいる信徒達でさえ、このような勉強に熱中し僧侶のような姿をしている私を父が見て激しく叱責しただろうと考えた。」と述べ、しかし「父は私が宗教に深い関心を示すことを喜ばれ、今でも宗教についての勉強を怠らぬようにと言われる。」と振り返った。こうして他宗教についての理解を深め、父に対する信頼も高まっていった。

「私は父がくださった自由、遠大な自由を発見した。けれどもその一方で多くの人が根本主義者的な理念に深くとらわれていることに対し、悲しみを感じた。だが少なくとも私が正しい道を発見したことを認めてくれ、対話の中で深い宇宙的な愛をくださった一人の方、父に出会った。

ある一つの宗教を勉強するのにおいて、宗教指導者の理念的発達過程を見ることはどれほど決定的なことか。大部分の人達は父が原理や草創期の頃のみ言を超えて生きておられ、発展し続ける神のみ旨を表していらっしゃることを忘れている。」

文牧師はこのような父の深い配慮と愛に大きな感銘を受け、この時から文総裁を肉身の父のみならず真なる霊的な師であると告白するようになる。その後彼は父の意思に従いハーバード大学で哲学を学び、その後同神学大学院において世界宗教学を専攻した。

とりわけ米国コネチカット州にあるカトリック系のペイフィールド大学に通ったことを契機に自然と神父達と親しくなり、ハーバード大の大学院に通う時には韓国から留学に来ていた僧をはじめ世界各国から留学に来た多様な宗教系の名士達とも交流することができた。

彼はハーバード神学大学院において世界宗教学を学んだのをきっかけに世界各国の聖地を巡礼する一方、2005年12月末、チベット仏教の精神的指導者であるダライラマにも親しく謁見した。彼のこのような歩みは世界平和統一家庭連合が追求する超宗教・超教派運動と無関係ではない。

また文総裁は彼に二つの大切な教えをくれたという。彼がハーバード大学院を終え、京畿道加平の清心神学大学院に講義をしに行くようになった頃、文総裁から「教会の信徒達の前に立つ時は、常に自分が不足であると思わなければならない。」と念を押されたという。
自らが完璧ではないことを認め、より一層成長するために努力するようにというこのみ言が第一の教えである。二番目として、
彼は将来どのような道に進むべきかについて父に尋ねたことがあったという。彼の問いに対し文総裁は「精誠を積み続けなさい」と
答えた。

これは霊的な修行の道、霊的な指導者としての道を歩む中で何よりも神との関係を手放してはならないという教えであり、自らを振り返り傲慢な心、高い地位に対する欲望よりも神が祝福してくださった‘本然の自我’を失ってはいけないという教えである。

彼は父の貴い教えを常に記憶しながら夜明けの精誠を積み続ける。

●葛藤と修行,父母様に対する感謝

世界的宗教指導者である文鮮明総裁は子女教育をどのようにするだろうか。文総裁の子女は、どのように成長するだろうか。文総裁が有名なことと比例して世間の関心は子女達にも注がれる。文総裁は公式的な集会を主管する以外にも常に夜明けから床に就くまで信徒達を指導する。

従って子女達と共に過ごす時間はごくわずかである。そのため子女達の目には父母の愛が恋しく映らざるを得ない。文亨進牧師は次のように振り返る。

「自分の父親ではあるけれども、普通の人々が父親に対して感じるような親しみは一度も感じたことが無い。私達が両親に会うことができたのは、1年のうち1週ないし2週間だけで、それもせいぜい朝食の時間にちょっと挨拶する程度だった。」
そのため親というものに対する切なる愛をもてる機会も少なかった。不満が膨らんでいく可能性もあったのだ。彼は、「幼い頃はいつも両親を尊敬できなかった。」
と告白した。

彼は1979年9月26日ニューヨークのウエストチェスターで文総裁の7番目の息子として、11番目の子女として生まれた。彼はその時から信徒達の関心の対象になった。そのため思い通りに飛び回って遊ぶこともできず、いつも不自由な生活の中に閉じ込められていた。

「私達はいつも‘食口’達に取り囲まれていた。朝目が覚めて一杯の水を飲みに台所へ降りて行くと、生まれて初めて出会う見知らぬ人が、廊下でカメラを向けてきてやたらと私のことを撮りまくっている。私はこの‘侵入者達’を攻撃してやりたかったが、顔をしかめながらも彼らを満足させてやらなければならなかった。

『君達は誰なんだ?僕は誰もここに招待なんかしていないのに。そんな風になれなれしくそばに寄って来て自分達の目の保養のために写真を撮れなんて、誰にも許可した覚えはないのに。』いつもこんな具合に心の中で叫んでいた。
『僕たちに息をつく空間を与えてくれよ。』 」(「坊主頭と苺」より)。

文亨進牧師に人生の転換期をもたらした事件は、1999年いつも一緒に過ごし寂しさを慰めあってきた兄、榮進の突然の死だった。榮進氏とは、「ほとんどいつも同じ部屋で一緒に過ごし、一緒にポテトチップを食べ、よく一緒にビデオゲームをした」という兄のことである。

また、「榮進兄さんの死は私の人生において衝撃的な事件だった。私は兄の死から骨身にしみる痛切な教訓を得たのであり、今でも彼の言葉が心の中で共鳴し鳴り響いており、それが私を懺悔と苦行、そして修行の道へと駆り出したのだ。」という。
「榮進兄さんはいつも良い子だった。父母様がおっしゃる全てのことに従順に従い、学校の勉強は勿論あらゆることにおいていつも成功を収めた。それに比べて私は怠け者だった。学校では落第し、退学させられた。敗北者と呼ばれ、‘門番’(いつも立たされていること)とからかわれた。

もし神様がいるなら何故私ではなく彼を連れて行ってしまったのか!私が逝けば良かったのに!この私だったなら良かったのに。私だったなら…。独りつぶやくうちにいつの間にか眠りに落ちていた。」(「坊主頭と苺」より)。

二人の兄弟は宗教や父のことについて論争し、ぶつかりあった。その度に兄榮進は弟を諭し導いた。「偽善者が一番いけないんだ!偽善の仮面を脱げ。父母様をもっと敬うんだ。親孝行にならないと。もっとしっかりしろ。父さんに向かって変われとは要求できないじゃないか。父さんはもう80歳過ぎだぞ!そんなの全然現実的じゃない。お前が変わることのほうがよっぽど可能なことだ。」

勿論そんな兄の言葉に反発もしたが、今日もなおその言葉が耳元に響き、「私が偽善な姿になる時には、より正直な方へと戻してくれるのだ。」という。

結局彼は愛する人の死がもたらした深い喪失感と絶望感、そして如何ともし難い傷を通して新たに内的な誓いを立てるに到り、宗教と信仰に一層没頭するようになった。

そして人生を揺さぶるこのような経験を通して‘統一教人’であるという自負心を抱くようになり、文総裁に対しても、単に‘多くのことを成し遂げた尊敬する父’というだけにとどまらず‘霊的な師であり案内者’と見るようになった。とりわけ仙仏教に伝わる寓話、

「苺の物語」について自分を死に至らしめる恩讐(ねずみ)にもイチゴを分け与えてやらなくてはいけないという父の真の愛の教えに対する洞察を反芻してみた時、文総裁の偉大さを認めるようになったと告白した。

●統一グループの未来を見る

文亨進牧師の就任により世界平和統一家庭連合は新しい変化の時期を迎えつつある。2世達の前面配置が持つ意味も大きいが、今後新たに彼らの躍動的な姿を見ることができるだろうと期待されるためである。

文牧師は、歳は若いが先輩後輩からの尊敬を一身に集めている。それは人には無い情熱と実力、実績を有しているのみならず、万事において率先垂範することと、謙遜な姿勢のためである。

彼は元老信徒達だけがするものと思われている夜明けの祈祷を長年積み重ね、6ヶ国語を駆使するなど外国語の実力も備えている。彼は将来12ヶ国語に精通できるよう勉強し、世界の信徒達と直接対話し、また世界の宗教指導者達との対話と交流を通して超宗教活動を行うつもりであることを明かしている。

文牧師は過去数年間にわたり築いてきた精誠のノウハウを米国ニューヨークのUTS(統一神学大学院)において‘天華當修練’の名称で、また韓国では清心神学大学院において‘天一国国民修練’と題して信徒達に伝授している。彼が長きにわたり体得してきた瞑想修行を信仰生活に接ぎ木し、‘真の愛’で重生させる修練である。

彼は2006年5月大学院を卒業し父である文総裁に呼ばれて韓国に移住した後、12月1日青波教会の牧師に正式に就任する前まで非公式的にこれまで自身が築き上げてきた全ての内容を直接現場を回りながら実践している。

去る7月29日麻浦教会で70名余りの信徒達を前に最初の礼拝を始めたが、17週が過ぎ1部のみだった礼拝は4部礼拝に拡大し礼拝全体の参席人員は平均600名余りに達した。このように短い期間に急成長を成し遂げた理由は、文牧師が家庭訪問と個人面談を通して信徒達の心のしこりを解いてやり、真実な心で信仰指導を行ってきた背景があるためと考えられている。

また言葉の壁に阻まれ、満足な信仰生活を送れずにいたフィリピンの婦人達をはじめ外国人信徒達のために特別プログラムを作って教育し、土曜日の午後には英語の礼拝を行った。

アメリカで生まれ育ったため上手な韓国語とはいえないが、そのために却って彼が苦労して探し当てた易しい韓国語で行う説教は純粋で真実味があるとの評価を耳にする。彼は牧会者としての確固たる哲学をもっている。

「伝統的な牧会では罪を悔い改めようという内容が多い。私はそれよりも罪人意識から抜け出し、生活の中で幸福と平和を追求しようというメッセージを伝えたい。我々は皆神様の大切な人(VIP)であるという思いから勝利(Victory)、悟り(Illumination)、平和(Peace)の精神を伝える牧会活動を展開したいと思う。」

世界平和統一家庭連合はプロテスタント的な伝統が強いが、彼は今後東洋的な瞑想などを積極的に導入する考えであることを明かした。

宗教はその多くが排他的である。けれども文牧師は世界平和統一家庭連合の創始者を両親に持ちながら、仏教、儒教、道教などの東洋宗教と哲学を勉強するなど他宗教にまで視野を広げ、これらの宗教を通じて「ようやく真なる統一教会人になった」と話す。

彼は文総裁が一生涯心血を注ぎ展開してきた宗教連合運動を受け継ぎ、超宗教・超教派的な宗教指導者になるであろうと期待されている。彼自身もまた「将来は超宗教的な活動を通じて宗教間の葛藤と争いを終わらせ、世界平和を模索する仕事がしたい。」と述べた。

1954年の世界平和統一家庭連合創設以後、これまで文総裁が追及してきた宗教連合と信仰革新運動など各種の懸案解決が文牧師を通じて一層目に見える形で具現化されつつある。

今や世界平和統一家庭連合は2世達を通して一段階グレードアップし、新たな希望となりつつある。それに対し各界からは肯定的な評価が寄せられている。


(写真の解説)

P.87:信徒達の心に深く刻まれた彼の代表的な謙譲の事例は洗足式だ。2006年2月、5000名余りの信徒が集う講演会で壇上から降り、草創期の元老信徒一人とアフリカ出身の黒人信徒の足を自ら洗ってやった後、長い間抱擁しこれまで苦労してきたことに対し感謝を表した。

また、「白人であろうと黒人であろうと毎日を一生懸命に生きている全ての方々、真の父母様の心情の中で一つになりましょう。」と力強く講演した。

P.88:文亨進牧師は、歳は若いが先輩後輩からの尊敬を一身に集めている。それは人には無い情熱と実力、実績を有しているのみならず、万事において率先垂範することと、謙遜な姿勢のためである。

P.89:‘天一国食口礼拝’は、第一に夫婦で行うことがその特徴である。礼拝開始の30分前から妻の李ヨナ牧師と共に礼拝に参席した信徒一人一人を温かな笑顔と愛の心で歓迎し、礼拝が終わった後も同様に一人一人の日常での意義深く幸福な人生を祈りつつ見送る。

P.90:前曹渓宗總務院長法藏の告別式で弔問する文亨進牧師

P.91:ハーバード神学大学院において世界宗教学を学んだことを契機に世界各国の聖地を巡礼する一方、2005年12月末、チベット仏教の精神的指導者であるダライラマにも親しく謁見した。彼のこのような歩みは世界平和統一家庭連合が追求する超宗教・超教派運動と無関係ではない。

P.92:文亨進牧師はアメリカニューヨークのウエストチェスターに生まれ、ハーバード大学哲学科を卒業、ハーバード神学大学院で世界宗教学を専攻するなど伝統エリートコースを歩みながら宗教指導者として信望を集めてきたという点で注目を浴びている。

P.93:文亨進牧師が去る12月1日ソウルの青波洞にある本部教会牧師に就任する様子


posted by uc40 at 17:56| Comment(0) | TrackBack(4) | 01.おすすめの記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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