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2008年01月16日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part7

<7>ガラス戸を蹴破る
 
マンションでは、入れ換わり立ち替わり親戚や父の知人がやってきて、各部屋に数人ずつ分散して寝ていた。周囲が二十四時間、私を監視をしているのが肌で感じられ、急な動作をすると、周りがハッと緊張した。寝ていてトイレに行こうと立ち上がるだけで、いきなり足に抱き付かれたこともあった。
 疲労でフラフラだったが、監視されていると思うと気になった。「このまま信仰をなくしてしまうのだろうか」「逃げる隙はないのか」など、いろいろな思いが湧いて来て、ほとんど眠れなかった。
 私の家族もなかなか眠れないらしく、夜の間、何度も寝返りをうったり、ため息やらうなり声をあげるのが聞こえてきた。
 日を追うごとに、「なぜこんな目に会わないといけないのか」「家族は心配していると言いながら、結局自分の事情を押しつけているだけじゃないか」という思いがつのって、どうしようもなくなってきた。特に、家族が自分の言動全てを「マインドコントロールされていて、本当の姿ではない」と思って見ていることを考えると、悔しさや怒りが込み上げて来た。 

信仰的に、この環境を「感謝しよう」と自分に言い聞かせてはきたが、もう情的に限界が来ているのが自分で分かった。
 一週間たって、私は「このままでは本当に気が狂うのではないか」と恐ろしくなって、恥も外聞もなく、父に頼んだ。……土下座したと思うが、はっきり覚えていない。「このままでは気が狂ってしまう。お願いだから出して下さい」。首を振りながら父が「ダメだ。ダメだ」とつぶやくように言った。
 しばらくして、隣りの部屋で世間話が始まった。笑い声がする。
 カッとなってガラス戸を開け、「あんた達は、人の魂をあずかっているのに、よくもここで世間話なんかできるな。もっと真剣になれ」と怒鳴った。怒りのあまり、つい仕切り戸のガラスを蹴破った。足を止めることができなかった。すぐに取り押さえられた。
 私が監禁の全期間をとおして暴力らしいことをしたのは、後にも先にもこの事件だけである。
 私の兄はこのガラスの割れる音を聞いて、半日泣き続けたそうだ。兄はその数日前に私を守ると約束したが、その約束を守ることができなかったのだ。
 ガラス戸は応急処置として段ボールが当てられた。しかし、監禁中はガラス屋も呼べないので、最後までそのままの状態でおかれた。
 しかし、この事件で、私はかえって何か割り切れた思いになった。何を言っても外へは出してくれず、逃げることも不可能。結局、何をしようが、反対派に会わせられることになっているのである。私はもう抗議するのをやめ、何を聞かれても返事しないようになった。何をするのも面倒くさく、口を開くのもおっくうだった。努めて何も考えないことにした。
 それから後、「家族会議」は開かれなくなった。私の心の中では「この監禁はもともと家族ではなく、反対派が始めたものだ」と、割り切るようになり、家族に言うことは何もなくなってしまった。それを家族も敏感に悟ったので、「家族会議」は開かれなくなったのだと思う。
 そして、家族も私も、少しは安心して寝られるようになった。
 さらに2、3日後、父がこっそりと「脱会者の人に来てもらうが、ヒデオはそれでもいいか」と聞いて来た。
 私には、家族に暴力をふるって出ることは絶対できない。暴れるだけの体力ももう残っていない。このまま気が狂うまで閉じこめられるか、離教するか、どちらかしか選択は残されていない。気が狂ったら、信仰を守ることもできない。信仰を失っても、気が狂っていなければいつか教会に戻る機会があるだろう……。冷めた気持ちで、そう考えた。
 脱会者に会うと答えると、次の日さっそく、脱会者がやってきた。

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