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2008年01月19日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part10

<10>脱会者たちの生活と日常
 
マンションにいる期間に出逢った脱会者たちのことを思い返すと、いまだに心痛むことが多い。
 私の監禁を陰で操っていた松永牧師は、かれこれ十年の間、統一教会員に対する監禁に携わっているとのことだった。松永牧師による脱会者は、百名を優に越えると言われる。これらの脱会者によって、一つの・世界・が形づくられているように感じられる。この脱会者同志の独特な・世界・にどっぷり浸かってしまったら、情に縛られて抜け出すことは難しいだろうと思った。私の見たところでは、反対派は、本人を離教に追い込んだ後、この独特の世界に囲ってしまい、情で縛りながら、統一教会に対する悪い情報を与え続けることで、そこから出られなくさせてしまうのである。
 しかし、脱会者たちは脱会した後も、統一教会のことを忘れられない様子だった。

 
マンションを訪れる新しい脱会者の中には、これまで真理だと思っていたものを失って、思い詰めた表情の人も何人かいた。脱会するとどのような心境になるのかを聞いてみたが、「虚脱感におそわれる」「自分を利用していた統一教会が憎い」など、いろいろな答えが返ってきた。人によって、個人差もあるらしく、いろいろ複雑な部分があって、とても一言で言いあわせるようなものではないように思う。ある脱会者に「ちょうど、失恋の後と同じような気持ちですか」と聞いたら、「まあ、そんな感じですね」と答えが返ってきた。
 また、私が接した限りでは、脱会者の交わす会話のほとんどは、今の生活のことよりも、統一教会に対する思い出話や、悪口で占められていた。これは、彼らが今の生活に満たされていないことを示しているように思われた。離教後、ずっと相対者の写真を持っていて、捨てようか、どうしようか悩んでいる脱会者もいる、と聞いた。
 マンションには、脱会者同志で結婚した人も何人かやってきた。ある帰還者から聞いた話によると、脱会者の九割が元教会員同志で結婚するそうだ。ここには脱会者の微妙な心理が関係している。多くの脱会者は、脱会はしたものの、決してこの世の結婚や恋愛に対して希望を持っているわけではない。統一教会での思い出や、自分が監禁された時の体験を、一種の秘密のように共有して、話す姿も見られた。監禁による脱会という体験があまりにも強烈で、その経験がない人とは話が合わないのである。結局、一般の人よりは脱会者同志の方が理解し合え、心情的にも深い関係になりやすい。そして、そのまま結婚に至ってしまうケースが多いのである。結果的に彼らは、脱会したはずなのに、いつまでも統一教会の影から抜け出すことが出来ないのである。
 
さらに、脱会者グループの中では、元原理研究会は元原理研究会同志、元教会員は教会員同志、という風に派閥のようなものができて、お互いに牽制しあっているという話も聞いた。この裏にも微妙な心理があり、自分が第一線で苦労していた、という自覚の強い人は、「私は苦労したのだ」という自尊心とも恨みともつかない思いが強く、あまり苦労を通過しない人に対しては「何も知らないくせに」という裁きの思いが出てきて、なかなか気持ちがかみ合わないのだそうだ。
 また、私は現場を見たことがないが、牧師が中心になって、脱会者同志の出会いの場と称して、コンパのようなものを企画することもある、とのことである。
 私は、こうした脱会者と話してみて、いろいろと同情できる部分もあった。しかしその一方で、彼らのものの考え方には、非常にいい加減な部分も感じた。
 私は数人の脱会者たちに、監禁に携わることの社会的責任についてどう思うか聞いてみた。多くの脱会者からは、「原理なんて間違っているのだから、しばらく説得を受ければ離教するに決まっている。本人は最終的に感謝するようになるのだから、・保護・するのは悪くはないのだ」といった答えが返ってきた。しかし、具体的に原理のどこが間違っているのか聞くと、どうでもいいような批判や、本人の思い違いに基づく批判ばかりが返ってきた。そのことをさらに追求すると、「私があまり勝手なことを言って、間違っているといけないから」「そのあたりは牧師さんに詳しく聞いたらいいよ」と言葉をにごされたり、感情的になって違った批判をぶつけられたりした。さらに牧師にその質問をすると、不機嫌になり、言葉尻を捉えて口論を始められたりする、という感じで、結局本質的な部分で納得のいく答えを得ることはできなかった。
 
私はこの期間、統一原理に対して反対派から受けた、全ての批判に対して反論できる。私は、これを何度でも声を大にして言いたい。
 脱会者たちは、この文を書いている私についても、とやかく言わずにはいられないだろう。私が彼らに切に願うことは、なぜ、私が信仰を失わなかったのかを疑問に思い、もう一度一つひとつを確かめてみるという機会を持つことだ。原理研究会に帰って来た今、私は反対派が様々なウソをついていることを知っている。
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