挨拶
統一教会員への拉致・監禁被害 をご覧いただきありがとうございます。 
 このサイトは統一教会員への信教を理由とした拉致・監禁・人権被害者支援、擁護、情報の提供、共有を目的として製作しました。

はじめての方は こちら からご覧ください。

2008年04月10日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part20

●偽装脱会
 
反対牧師の説得作業は、トランプのゲームを連想させる。牧師は、これで落とした、という「切り札」を長年の説得作業の間に身に付けていて、一番効果的なところを見計らってぶつけて来る。そこで本人の信仰生活で身に付けた「カード」との勝負が繰り広げられる。
 松永牧師が来るようになってから数日間は、様々な統一教会についての悪いウワサを聞かされた。反対牧師は、監禁された当人に対して、嘘かホントかわからないようなウワサを時限爆弾のように仕掛けていく。そのウワサの多くは根拠のないものだが、監禁中は確かめようがない。一つのウソをごまかすためには十、二十というウソが必要であるが、反対牧師の頭の中では、そのウソがストーリー性を持ち、「統一教会は巨悪である」という一つの壮大なフィクションが出来上がっている。そして、監禁された本人が知らない内容を一つでも認めると、本人は牧師の言うこと全てを鵜呑みにするようになる。そして「じゃあ、これも、これも本当なのだ」と、頭の中で連鎖反応が起こり、一気に統一教会を「恐ろしい団体だ」と思うようになっていく
 私は、大体向こうの「切り札」が出そろったという見当がつき、(理論が崩されない限り)自分の信仰は奪われないだろう、という手応えを持った時点で、本格的に偽装脱会することに決めた。
 しかし、今でこそ分かるが、反対派は「ひととおり脱会カリキュラムを通過させれば、統一教会員は全員脱会させることができる」と心の底で思っているのである。だから本人をとにかく逃げられないように捕まえておきさえすれば、いつか脱会させられると信じているのである。
 七月一〇日頃、牧師に告げた。「裏でいろんな活動をやっていることを知り、きちんと調べたくなった。ただし、自分一人で調べたいので、家族には知らせないでほしい」。
 牧師と脱会者が「彼は間違いに気づき始めた」と納得してから約二週間ぐらいは、理論を検証するだけで、監禁中、精神的には一番楽な期間だった。
 「勉強」には、ビデオに録画してあるものを主に用いた。松永牧師が、脱会者に原理講論を読ませては批判し、脱会者が「そうか、やっぱり原理は間違いなんですね」と言う姿をビデオに録画したものである。
合間には、『ライオン・キング』、『ナウシカ』などいろいろ見た。
 この頃になると、「何かほしいものはないか」「何を読みたいか」などと言い、ここぞとばかりに周囲が様々に尽くし始めた。ここで相当脱会者たちに情的に引っ張られたのも確かである。
 私はもともと原理研究会の人間関係よりは理論につながっているという自覚を持っていたので、この間一つだけ自分にノルマを課した。反対派の批判を一通り聞いて、自分の中できちんと反論ができたら、原理研究会に帰ろう、ということである。きちんと調べて行くと、理論的な批判のほとんど全ては、様々な情報操作や反牧の勘違いによって成り立っていることが確認できた。
 
例えばある時、松永氏が会話の中で「神の子は神である。人間は神ではない。だから神と人間は親子ではない」という幼稚な算段論法を得意になって振りかざして来た。聞いていてうんざりさせられた。
 また創造原理が自然を通して神の性質を知るという流れになっているのに対して、「統一原理は汎神論(神と被造物が同一存在だととらえる考え)だ」と決め付けて来た。統一原理は汎神相論(被造物にあまねく神の性質が表われるという意味)の立場に立って、被造物から神の性質が分かると考えているのだが、松永氏はこの簡単な違いもわからないらしかった。

 客観的に考えれば非常に稚拙な批判であるが、脱会した者は心身ともに極限状況に置かれ、このような批判を続けざまに浴びせかけれられて、正常な判断力を奪われてしまったのだろう。

2008年04月09日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part19

●監禁現場での心理状態
 
マンションの中では、ふと、ガルシンという作家の「赤い花」という小説が頭をよぎることもあった。精神病患者を題材に書いた作品であるが、もしかしたら自分もあんなふうになってしまうかも知れない、と思うと、吸い込まれるような恐ろしさを感じた。
 監禁現場では、周囲に信じられる者はまったく誰もいない。当然祈ることすら許されない。だから、周囲に自分をゆだねられない中で、「こんな場所で気が狂うわけにはいかない」と、かえって絶えずそのことを意識し続けるようになり、心に大きな負荷がかかってしまうと思う。
 西洋では、キリスト教徒を離教させるため、地下深くの穴蔵に閉じこめることもあったと言う。それで発狂した人もいたのではないか。……監禁された私は、そうした例を思いうかべては、耐えることにした。
 家族が花を買ってきて飾ってくれたが、それがなによりも気持ちの救いになった。飾ってある花が、家族全員のささくれだった心に潤いを与えてくれた。どんな環境に置かれたとしても不平一つ言わないこの花の姿を見ると、いつも「私は精一杯、与えられた環境で、神から自分に託された務めを果たしているだけです」という声が返ってくるように感じた。あまりの精神的重圧や理不尽さに忍耐しきれないと思う時も何度かあったが、この花を先生として忍耐しようと、また思いなおした。
 監禁現場では、音楽を聴くことさえ許されなかった。何度か「音楽ぐらい聞かせてくれないのか?」と父親に訴えたが、「こんな場所で何を考えているんだ」という返事がかえって来ただけだった。異常な状況で、家族にも他人を思いやる余裕などなかった。
 監禁されて、聖歌をずっと胸の中で繰り返して耐えた、という人がいたそうだが、私の場合は、あまり信仰がないせいか、普段好きだった、ビリー・ジョエルの曲が浮かんできた。それで、ずっとビリー・ジョエルの曲を胸の中で繰り返していた。そのことがどれだけ私の心を慰めてくれたか、分からない。ビリージョエルの歌は、様々な苦労やそれを乗り越える希望などについて歌った歌が多いので、音楽を思い浮かべると・苦労しているのは自分だけではないのだ・と、力が湧いて来る気がしたからである。逆に、たまに、音楽がぼんやりとしか思いだせない時があり、その時は恐ろしかった。
 私は、監禁が終わってから今まで、自分の傷ついた心を整理しようと努力してきた。しかし、これは難しい作業であると思う。記憶自体が途切れ途切れになっていて、思いだそうとすると、ちょうどガラスを引っかく音を我慢して聞きとるようないやな感触を覚えるのである。また数カ月間は、怒りなどの過度の感情の起伏があると、神経に痛みを感じるという状態が続いた。
 私は、いま、逆にまたビリー・ジョエルの曲を聴きながら、心の傷を癒そうと努力している。この曲を聴くとかえって忌まわしい記憶がよみがえってくるかも知れないという思いもあるが、私はこの曲が気に入っている。この曲には罪がないのに、私がそういった思いで曲を・封印・してしまったら、曲が可哀想である、と思って、あえて聞くようにしている。それがかえって心の傷をいやしてくれるように感じるのである。
 また、花などを身近において眺めているだけでも、心の傷が癒されるように感じる。

2008年04月08日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part18

監禁による精神障害
 
監禁が解かれてからもう一年以上たつが、私の心の奥底にはいまだに、いろいろな忌まわしい記憶が刻まれている。私はもともとめったに寝言など言わないタチだが、最近、寝言を言うようになったらしい。同僚によれば、「僕を閉じ込めるつもりなんですか。きっとそうだ」などと言っているそうだ。
 様々な悪夢に苛まれることもある。
・何かから逃げようとして走っているが、足に力が入らず前に進まない夢。
・逃げて隠れていると、鬼のような目をした家族らが探しにくる夢。
・家族が責めたててくる夢。どこで・リハビリ・をやるのか、決めない限り信用できないと言われ、・じゃあ、新津で・と答えるところで目が覚める.....etc.
である。
 脱会者の中には、情緒不安定や自律神経失調症になり、現在精神病院に通っている、と言う人もいた。
 私も、監禁を解かれてからしばらくの間、心の中を見つめようとするだけで、体が拒否反応を起こすように感じた。あるいは自分がふと独り言を言っているのに気づいて恐くなったり、また、話をしていて、ふとした冗談などから、その時のことが連想されて、情的に受け止めきれなくなったりすることがなどがあった。
 私はこうした精神状態について、精神医学のカウンセラーに相談してみた。
 すると、これらは、大きな心的外傷に起因する神経症で、ストレス障害の症状である、という答えが返ってきた。
 最近、阪神大震災で「PTSD」という症状が話題になっているこれもその一例だそうだ。
 PTSDとは、動くはずのない大地が動いたということで、今まで心の中で信頼し、支えになっていたものが崩されてしまい、どこか不安定になってしまう。そして、自分を追い込まれ、自分の支えになっているものがなくなってしまうのが恐くなり、自分を守ろうという意識が働く。すると、新しい環境に対して適応能力がなくなったり、ちょっとしたストレスにも耐えられなくなってしまう、というものである。つまり、困難な環境を乗り越えようという力が奪われてしまうのである。
 また、大きな心的外傷ができることで、今まではなんともなかった、様々な過去の心の傷などが誘発され、ストレス、不安感、恨みなどが吹き出してくるのだそうだ。こういう状態の人は、他人とのコミュニケーションがうまくできず、ひどいケースは精神分裂病になることもあると言う。これはまさに、脱会者の精神状態をそのまま言い表している。

 脱会者は、今まで信頼していた、家族から裏切られ、信じられないような仕打ちを受けて、こうした症状を人為的に引き起されてしまう。また、人間は閉鎖空間に押し込められると、感覚遮断による暗示効果も生じてくる、という研究もあるとのことである。そこへ統一教会に対するおどろおどろしいウワサをぶつけられると、不安になって戻れなくなってしまうのである。
 そして、こうした症状になった人を受け入れる居場所となるのは、脱会者同志の世界しかない。なぜなら、こういう精神状態になった自分を理解してくれ、受け止めてもらっている、と感じることのできる相手は、実際の経験者だけなのだから。
 こういう状態で、多くの統一教会員が信仰を失っていくのである。
 反対派はこういう症状を逆手にとって、あたかも統一教会側が「マインドコントロール」を行っているかのように主張しているが、脱会しなかった私もこうした症状になったという事実は、反対派の主張が間違っていることを如実に示している。
 私の家族も、いまは監禁に疲れて、府抜けたような状態である。また、何人かの脱会者は、監禁の途中で親の方がノイローゼになり入院してしまったと言っていた。しかし、一番大変なのは本人なのである。


2008年04月07日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part17

●離教の理由
 
 私はマンションにいる期間、いろいろな脱会者に、離教する決定的な決め手となった理由を聞いてみた。しかし、具体的に聞いてみると「夢を見た」とか「心情関係が希薄だった」とか、どうしてこんな理由でやめるのかと首をかしげたくなるような、つまらないことが多かった。
 脱会者たちは、なぜ「離教したのか」よりは、「なぜ信じるようになったのか」ということの方に関心が行くようだった。
 おそらく、大多数の離教者は、自分がなぜ離教したのかを説明できないのではないのか、という風に感じられた。
 脱会者たちは、統一教会に対する様々な悪いウワサをなんとなく信じ込んでいるようだった。しかし、その一つひとつに対して、「きちんと確かめたのか」「本当に統一教会の人間がそんなことをすると思うのか」と聞いていくと、相手は言葉をにごしたり、感情的になって言い返してくることが多かった。
 そして、ひとつの話をしても、突き詰めようとするより、どんどん会話がシフトしていくという感じである。
 ある話題に関して、私が突き詰めていくと「人間というのはなかなか自分の過ちを認めたがらないものだからね」と、何度も言われた。まるで、私がその場で屁理屈を言って言い逃れをしているだけなのだと言わんばかりである。しかし、私に言わせれば、その一つ一つをおろそかにしていて、どうしてきちんと確かめられるのだろうか。一つひとつが大事なのに、どうしていい加減にすませるのだろうか。逆に彼らは、自分が離教した理由をはっきり言って、それを否定されるのが嫌なのではないだろうか。
 また、ある脱会者の女性は、「イエス様は、ロバにのってエルサレムに入ったのよ。それなのに、統一教会の教祖は外車に乗っているじゃないの。そんなの、なんだか違う気がする。頭の中でイメージが重ならないわ」と真面目に言ってきた。なんという閉鎖的な考えに染まっているのか、と私は驚いたが、本人は本当に思っていることを率直に言っているらしかった。
 ある脱会者の話だが、その人は信仰を持っていた当時、霊が見えたり、祈っている時に聖霊体験をしたことがあったそうだ。しかし、監禁されて「マインド・コントロール理論」を聞かされ、「カルトの特徴」というものを何度も聞かされるうちに、「私は本当に“カルト”に入っているのだろうか」と恐くなってしまった、とのことだった。こうして、神や霊界に対する確信をぼかし、これまでの霊体験や神との出会いをすべて「思いこみだった」と思わせてしまうのは、反対派の常套手段だと言える。
 また、反対派は、考え方の幼い人に対しては、本人の個人的動機と、統一原理の目指す内容とのズレを引き出して、なぜ自分が統一教会の信仰を続けなければならないのかを分からなくさせてしまう。
 
例えば、ある女性の脱会者は「家族関係を良くしたいと思って教会に入ったのに、教会に入って、かえって家族関係が悪くなった」と言っていた。この人は監禁されて「バカだな。家族関係が悪いんだったら、家族に直接不満なところを訴えて、治してもらえばいいじゃないか」と言われ、「確かにその通りだ」と思って離教したのだそうだ。これは反対派のペースにまんまと乗せられてしまった良い例であると思う。ここには論理のすり替えがある。彼女は、家庭関係を修復するためだけに信仰を持ったのではないはずである。統一教会が目指しているのは、神を中心とした、より正しい家族関係であり、人類全体の救いであるはずである。彼女は、いつの間にか大事なことを忘れてしまったのではないだろうか。
 私は、統一原理でも説いている通り、魂とは永遠性を持ったものだと信じている。たとえ現実にどんな困難があるにしても、そこで真理を見失って間違った選択をしてしまったら、永遠に悔いを残すことになる、と私は思う。
 結局、離教の理由としては、監禁される中で大勢の脱会者に触れ、「監禁を受けると、みんな離れてしまうのだ。ということは原理は間違っているのだ」と思って、離れてしまう部分が非常に大きいと言える。では、なぜ牧師が監禁をするのか。それは、監禁すれば必ず離教させられる、と思っているからである。要するに、悪循環がどんどん繰り返されているのである。
 ただ、確実に言えることとして、異常な環境下に長い間一人で「隔離」されていると、たいていの人は自我を追い込まれ、その結果、信仰を持つようになった自分自身まで不信してしまう。
 反対派は、脱会者たちの説得活動を「リハビリ」と呼んでいるが、これは脱会者が自分への自信を取り戻し、「やっぱり統一教会は間違っているのだ」「やめた自分は正しいのだ」と自分に言い聞かせていく作業なのだ、と言うことができる。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。