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2008年04月09日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part19

●監禁現場での心理状態
 
マンションの中では、ふと、ガルシンという作家の「赤い花」という小説が頭をよぎることもあった。精神病患者を題材に書いた作品であるが、もしかしたら自分もあんなふうになってしまうかも知れない、と思うと、吸い込まれるような恐ろしさを感じた。
 監禁現場では、周囲に信じられる者はまったく誰もいない。当然祈ることすら許されない。だから、周囲に自分をゆだねられない中で、「こんな場所で気が狂うわけにはいかない」と、かえって絶えずそのことを意識し続けるようになり、心に大きな負荷がかかってしまうと思う。
 西洋では、キリスト教徒を離教させるため、地下深くの穴蔵に閉じこめることもあったと言う。それで発狂した人もいたのではないか。……監禁された私は、そうした例を思いうかべては、耐えることにした。
 家族が花を買ってきて飾ってくれたが、それがなによりも気持ちの救いになった。飾ってある花が、家族全員のささくれだった心に潤いを与えてくれた。どんな環境に置かれたとしても不平一つ言わないこの花の姿を見ると、いつも「私は精一杯、与えられた環境で、神から自分に託された務めを果たしているだけです」という声が返ってくるように感じた。あまりの精神的重圧や理不尽さに忍耐しきれないと思う時も何度かあったが、この花を先生として忍耐しようと、また思いなおした。
 監禁現場では、音楽を聴くことさえ許されなかった。何度か「音楽ぐらい聞かせてくれないのか?」と父親に訴えたが、「こんな場所で何を考えているんだ」という返事がかえって来ただけだった。異常な状況で、家族にも他人を思いやる余裕などなかった。
 監禁されて、聖歌をずっと胸の中で繰り返して耐えた、という人がいたそうだが、私の場合は、あまり信仰がないせいか、普段好きだった、ビリー・ジョエルの曲が浮かんできた。それで、ずっとビリー・ジョエルの曲を胸の中で繰り返していた。そのことがどれだけ私の心を慰めてくれたか、分からない。ビリージョエルの歌は、様々な苦労やそれを乗り越える希望などについて歌った歌が多いので、音楽を思い浮かべると・苦労しているのは自分だけではないのだ・と、力が湧いて来る気がしたからである。逆に、たまに、音楽がぼんやりとしか思いだせない時があり、その時は恐ろしかった。
 私は、監禁が終わってから今まで、自分の傷ついた心を整理しようと努力してきた。しかし、これは難しい作業であると思う。記憶自体が途切れ途切れになっていて、思いだそうとすると、ちょうどガラスを引っかく音を我慢して聞きとるようないやな感触を覚えるのである。また数カ月間は、怒りなどの過度の感情の起伏があると、神経に痛みを感じるという状態が続いた。
 私は、いま、逆にまたビリー・ジョエルの曲を聴きながら、心の傷を癒そうと努力している。この曲を聴くとかえって忌まわしい記憶がよみがえってくるかも知れないという思いもあるが、私はこの曲が気に入っている。この曲には罪がないのに、私がそういった思いで曲を・封印・してしまったら、曲が可哀想である、と思って、あえて聞くようにしている。それがかえって心の傷をいやしてくれるように感じるのである。
 また、花などを身近において眺めているだけでも、心の傷が癒されるように感じる。
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