挨拶
統一教会員への拉致・監禁被害 をご覧いただきありがとうございます。 
 このサイトは統一教会員への信教を理由とした拉致・監禁・人権被害者支援、擁護、情報の提供、共有を目的として製作しました。

はじめての方は こちら からご覧ください。

2008年01月31日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part13

<13>
 依然として脱出の機会が見つからないまま監禁されて、二十日近くが経過した。
 私は、血でメッセージを書く作戦を思いつく。何かのすきを突いて、窓の外に投げるチャンスがあるかも知れない。まず、そーっとゴミ箱の中から手のひらぐらいの大きさの紙を拾う。当然、監禁場所に刃物などを置いてあるはずがない。それでとがった針金を見つけだした。
 トイレに入って靴下を下げ、思い切って足首のあたりを針金で何度かガリガリと引っかくと、血がにじみ出た。それを指に付けて「カンキン・たすけて」と書く。
 外に出られるチャンスを待ちつつ、この血文字をポケットに隠し持っていた。しかし、偽装脱会のメドがついた時点で、見つかるとかえってまずいので、トイレに流して処分してしまった。今思うと、記録として残しておけなかったのが残念だ。
 六月末、父親がノートと筆記用具の入ったカバンを返してくれた。今度は窓に張り紙をする方法を思いついた。
 七月一日の朝、目が覚めると、隣の部屋では父の古い知り合いが二、三訪ねてきて、父と話し込んでいる様子だ。私のいる部屋のふすまは閉まっているが、話に夢中で私のことはあまり意識をしていないように思われた。
 他の脱出に成功した人の話によれば、監禁現場では本人の行動を二十四時間監視するため、ふすまを全部取り外すこともあるそうだ。また、トイレにまでついてくる親もいると聞く。私の場合、親はそこまではしなかった。
 親としては、子供への心配と不信とが入り交じった心境で、四六時中、子供を監視するということが異常だと感じていながら、自分でもどうしようもないのだろう。
 私は、音を立てないように気をつけながら、ノートの一ページに一文字ずつ「監」「禁」「助」「け」「て」と書き、原理研究会の連絡先もあわせて書いた。隣の部屋の者たちはまだ気づいていないらしい。
 …………

 以前怪我をしたとき、家族からもらった治療用のテープがある。私はメッセージを書いたノートをテープでつなぎ合わせ、外から見えるように窓の内側に貼り付けた。
 もちろん、こんなことをしても外との連絡が取れる可能性はほとんどないことは分かっている。私としては、これで脱出のための努力にケジメをつけたかったのである。

 家族に暴力を振るって出ることなど、私にはとてもできない。だから、外部と連絡を取って、救出を待つという方法がダメなら、手っ取り早く反対派の人間に会って、彼らの言いたいことを聞いてやる以外に道はない。
 こう例えると、何か傲慢なように聞こえるかも知れないが、イエス・キリストはゲッセマネで、「十字架を避ける道はないのか」と祈られ、それが不可能だと悟られてからは、神のみ旨として、進んで十字架の道を選ばれた。私自身もそうありたいと思ったのである。
 すぐに張り紙は見つかり、はがされてしまった。隣の部屋で寝ていた誰かがこちらの気配に感づいたらしい。父たちは良心の呵責があるからか、私が張り紙をしたことを責めようとはしない。このとき、私は物理的な脱出を完全にあきらめた。以後も脱出のための努力は一切することはなかった。
 父がまた「牧師さんを呼ぶが、英雄は会っても構わないか」と尋ねてきた。私は「呼びたいなら、呼べばいいんじゃないの」と半ばうんざりして答えた。父は「英雄の気持ちが大事だから……」と口をもごもごさせている。結局、私は積極的な気持ちではなく、「(父に何度も聞かれて)面倒だ」という気持ちから、牧師に会うことを承諾した。翌日、松永牧師と対面することになるのである。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。