挨拶
統一教会員への拉致・監禁被害 をご覧いただきありがとうございます。 
 このサイトは統一教会員への信教を理由とした拉致・監禁・人権被害者支援、擁護、情報の提供、共有を目的として製作しました。

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2008年07月11日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part29

<29>もの寂しい結末

 十月六日、四ヶ月に及ぶ監禁が終了し、富山の実家へ帰った。この際、松永氏の教会に寄った。
 松永氏のいる新津教会は、統一教会の脱会者が事務を担当している。父が借りていたマンションの鍵を返すと、事務をしていた脱会者がごく当たり前のように受け取った。ここまで公然とマンションを「貸し出し」しているくせに、反対派は「監禁をやっているのは家族である」とうそぶいているのである。
 松永氏は外出中だったが、しばらく待たされ、松永氏が帰って来て、最後の会話を交わした。
 この時、最初に松永牧師が私に対して言ったのは、「君のような疑り深い人間が、きちんと社会生活を営んでいけるかどうか疑問だ」という言葉だった。松永氏は「君の将来のために祈っているよ」とも言い、「何か聞きたいことがあったら、訪ねて来たらいい。理論とか……」と、未練を見せつつ言った。松永氏自身も、監禁一つひとつを自分の満足する形で終わらせられなければ気持ちが落ち着かないらしい。私にはかえって、この人が私のことをダシにしようとしているように感じられてならなかった。
 教会を出て車に乗ると、数人いた「リハビリ」中の脱会者達が手を振って見送ってくれた。内心では手を振りたくないのかも知れない。しかし、そうだとしても彼らは私に対して無理に笑顔を浮かべ、愛想良く幸せな素振りをしなければならない。私を説得する立場に立たせられているからである。真理を見失ってしまい、途方にくれながらも、脱会した自分は幸せであると自分に言い聞かせ続けなければならないのだろう、そんなことを考えて、また心痛く感じた。
 一週間後、私はCARPに連絡し、帰った。

悪夢はまだ続いている

 反対派は監禁する理由について「統一教会がマインド・コントロールを行っているためである」と言い張っている。
 しかし実際は、反対派の方が統一教会に対するおどろおどろしいイメージを植え付けているのである。そして閉鎖空間で人為的に精神障害を引き起こさせ、異常な環境で「原体験」を持たせて、もう一度頑張ってみよう、きちんと確かめようといった気持ちを完全になくさせてしまう。さらに、脱会後は脱会者だけの世界に囲ってしまう。だからこそ、途中で自由に調べることができないように監禁が必要なのである。

 
私は現在、まだその余韻を引きずって生活している。長期間、異常な環境で怒りをこらえる、眠れないなどで交感神経が酷使されたため、監禁後しばらくは、過度の怒り・悲しみなどに出会うと神経に痛みを感じる状態だった。また、あの外界と遮断された空間で数カ月間暮らした記憶は、まだ心に焼き付いており、閉鎖された空間が怖い、人前に出るのが怖いなど、克服すべきことがまだ待っている。
 家族の私に対する愛は本物であるが、私に対する愛情のあまり、反対派の流す様々な嘘を盲目的に信じてしまった。自分の家族に信頼されないという苦しさは言い難いものがある。これから家族を、どう導くか、難しい問題である。
 つい先日も、夢の中に家族が出てきたが、いつも監禁とセットで出てくる。最近見る夢では全て、家族の夢イコール監禁の夢である。逆に松永氏の夢は、一度も見たことがない。松永牧師に対しては、特に何の感情も湧かない。しかし自分のやっていることをきちんと認識して、社会的な裁きをきちんと受けて欲しい。それだけである。
 
ここに記したのは、すべて事実であることを強調しておく。反対派は私に対しても、とやかく言わずにはいられないだろう。しかし、ここで反対派に対して改めて言いたい。強制的に信仰を奪うことなどできないし、あってはならないことである。現に私の信仰は、彼らによっては奪えなかったのだから。
 現在も、統一教会員に対する拉致・監禁は毎日のように行なわれている。民主主義が保証されているはずの日本で、この監禁・強制改宗が行われなくなるのはいつの日なのだろうか。


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2008年07月10日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part28

<28>追い詰められた家族
 
九月中旬になると、もう親族と兄夫婦はマンションに訪ねては来ず、監禁を行っているのは父・継母・妹の三人だけだった。
 そして家族にも、それぞれ一人になってはぶつぶつ独り言を言う、ちょっとしたことで癇癪を起こす、といった精神的に危険な徴候が目立つようになった。残った家族は監禁に参加していない家族に対して「無責任だ」「逃げているんだ」などと責めるようになった。もう半分意地で監禁を続けているという感じだった。また、家族は私の個人的な性格をあげつらい、攻撃するようになった。「どうして牧師先生の言うことを聞かないのか」「どうして脱会者の人達の気持ちに応えてあげないのか」と責めるのである。そうでもしないと、もう監禁を続ける気力が湧いて来ないのだろう。すさんだ毎日が過ぎるようになった。
 周囲はすでに監禁を続けられる状態ではなかったが、松永氏はまだあきらめないらしかった。九月上旬、継母が「もうこんな環境には耐えられない」と強く言い、そこで、父・継母・私・妹で話し合って一旦監禁を終わることになった。しかし、次の日には決定が覆され、父から「お母さんが、思い直してまた残ることになった」と言って来た。後で継母が話してきたところによると、この日、松永牧師へ監禁を止めたいと報告しに行ったところ、「せっかくの今までの苦労が水の泡になってしまうので、続けるように」と説得を受け、思い直したそうである。
 しかし、またしばらくして継母が「やめたい」と言い出す。残った家族の間で「終わる」「終わらない」で議論になる。これが何度か繰り返された。九月二十二日、今度は妹が、それまで休んでいた大学に帰ることになり、ここでほとんど監禁は終わりとなった。
 九月二十九日、松永氏が訪問して来た。最初から数えると十回目ぐらいの訪問だったろうか。話はもう説得や議論と言うより雑談という感じであった。話が終わると、父が松永氏と共に外へ出ていった。父が帰ってきて、松永牧師と話し合った結果、監禁を一〇月一〇日ごろ終わることになった、と私に告げた。松永氏もさすがに「そうですね。仕方ないでしょう」と言った、とのことだった。これが松永氏の最後の訪問となった。
 監禁の終わる直前に、脱会者数人とカラオケに行くことになった。監禁を受けて以来何度目かの貴重な外出である。ビルの階段を上ろうとして、平衡感覚がおかしくなり、よろめいた。そう言えば、かれこれ百日以上、階段というものを使わなかったのだ。
 自分を含め、カラオケで平和に歌う脱会者たちの姿は、まるで仲の良い中学生がたむろしているような雰囲気だった。やることもなく、ただなんとなく集まって、それなりに楽しい世界ができている。カラオケでは最後にみんなで、「乾杯」を唄った。新しい人生の門出という意味を込めたのだろうが、かえってどろどろした情の垂れ流しのようなものを感じ、かつては神の為を思って純粋に歩んでいた人たちがどうしてこのような状態になったのだろうか、と心痛く思わざるを得なかった。
 そして十月六日、四ヶ月に及ぶ監禁が終了し、富山の実家へ帰った。

2008年07月09日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part27

<27>情的試練

 私には、物事が自分たちの引いたレールのとおり動く間は良い顔をするが、一旦レールを外れようとする者にはどんどん締め付けをするという反対派のズルさが分かっていた。しかし、そんな中で感心させられたこともあった。
 
松永牧師は、たいてい夜11時ぐらいまで説得活動を行う。そして朝は5時、6時ぐらいに起き出して、脱会者たちと早朝祈祷会を行い、現在マンションにいる・脱会対象者・のため、一人ひとりの名前を挙げて祈るのである。私に言わせれば動機がかなりずれているが、脱会者達は松永氏のこういった熱意に感動し、また尊敬しているのである。
 またある時、私が松永牧師に、とある別の反対牧師に説得を受け脱会した知り合いに手紙を書き、「これを渡してほしい」と言った。二、三日後に松永牧師は「大事な手紙だと思ったので、速達で出しておきました」と伝えてきた。手紙の内容をこっそり見たという様子もなく、プライバシーをきちんと守ってくれたらしかった。これは情的な懐柔作戦というよりは、個人的な好意としてであるように感じた。
 また、私は信仰は失っていなかったが、情では、このまま離教したらそれもいいかも知れない、とよく思った。ここまま流されて行けば、それなりの幸せが手に届くところに見えている。そして「それでもいいかも知れない、もう疲れた」ともう一人の自分がささやいている。原理もメシヤも確信していながら、未来の約束より、見えるものがすぐ欲しい自分もいるのである。

 松永氏は、この間十日に一度ぐらいやって来た。訪問の度ごとに「文師は色情狂である」「韓国の食口は、性的に乱れている」といった話をしてきた。しかし何の証拠も出そうとはしなかった。脱会者はこういった話を何となく信じているらしかった。
 一番、怒りを覚えたのが、故人に対しての悪口である。松永氏はあるとき、統一教会に対して賛同的だったT大学のH先生に対して、もう故人であられるにも関わらずひとしきり悪口を言った後、「統一教会しか家族の面倒をみてくれないのだ」などと揶揄してきた。
 この時、私は松永氏の人格を決定的に疑った。何でも言えばいいというものではない。もし私なら、故人に対してこのような悪口は絶対言わない。それでも私は、怒りが込み上げる中で「そうですか」「そうなんですか」と答えるしかなかった。
 もう一つ印象的だったのが、和賀信也牧師のことが話題にのぼった時だった。松永氏は「和賀牧師は、マンションに来て説得をしたりはしないんだ。本人が話すと言えば、喫茶店ででも話すからな」と嫌そうな顔をして言った。私は、そんなことは私と何の関係もないのに、何故いちいち話すのだろう、と思いつつ聞いていた。
 あとで聞いたことによれば、自分がこんなに苦労し、危険を冒して、ある意味「汚れ役」を引き受けて、「救済活動」をやっているのというのに、和賀牧師は楽をしているということで、周囲の反対牧師からは嫌われているのだそうだ。
 松永牧師も、説得作業とは関係なく、ついこうしたことを言わずにはいられないのだろう。
 反対派同志で、このような反目というか、分裂がある。説得作業の「舞台裏」を垣間みた思いがした。

2008年07月08日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part26

<26>崩れる監視体制
 
六月に始まった監禁であるが、八月下旬に新しいマンションへ移ってから、次第に監禁をしている側にダレた雰囲気が漂うようになった。
 最初のうち、私が「マインドコントロール」されているのだ、と思いこみ張り切っていた家族は、私が反対派の「カリキュラム」を全部消化してしまい、脱会者も「もう川嶋君は、マインドコントロールにはかかっていません」と助言するようになると、逆に監禁を続ける熱意を失ってしまった。張りつめていた空気はなくなってしまい、監視態勢は次第に崩れていった。
 
新しいマンションに移ってから後、兄夫婦は、もともとこの監禁には反対だったこともあり、仕事があると言ってマンションから遠ざかった。私がとくに逃げようともしないので、父の知人も帰された。
 一週間後ぐらいから、窓についた特殊な鍵も外され、ベランダで洗濯物を干すときや脱会者の来る時は窓を開けるようになった。

反対派の弱点 
普通は、訪問している脱会者全てが話してみて「脱会している」と判断すると、「OK」が出されるのだそうである。しかし、その脱会者たちももう来るのを嫌がっているようだった。私がある脱会者に「もう、僕には愛想が尽きたということですか」と聞くと「うーん、するどいね」と答えが返ってきた。私に言わせれば、私が彼らに「あなた達は私を心配しているわけではなく、利用しようとしているのだ」という事実を彼らに何度か突きつけてしまったので、彼らにも私を説得したいという気持ちがなくなってしまったのだろう。脱会者の中でも積極的に説得活動をしているメンバーはまだ頑固に来てはいたが、もう話すネタもなく、つまらない雑談で終わることが多くなった。
 実は、反対派の行なっている監禁には大きな弱味がある。反対派側の「切り札」が全部出尽くした時点で、反対派にはやることがなくなってしまうのだ。
 反対派も、監禁された当人が信仰を失わなかった場合が恐いのである。信仰を奪えないのに監禁が長引けば、どんどん犯罪を重ねているだけなので、反対派はかえって自分の首を締める結果になる。


 私の場合も、偽装脱会であることは何度も疑われていた。しかし、私がすべて「脱会プログラム」を消化して、口では「やめる」と言っているかぎり、反対派はもう私への説得をあきらめるしかなかった。後は逃げる必要すらなく、いかに向こうにとって形良く終わるか、だけであった。九月以降は退屈な日々が続いた。
 時間が緩慢に過ぎていった。時として、2、3日何もやることがないままにすぎる。まるっきり何も進まないことにイライラする。毎日、運動不足の解消のため部屋の中をぐるぐる歩いて回るようになった。
 七階で見晴らしは良かったので、日中ずっと空の雲の形が変わるのを見たりしていた。また、家族に頼んでいろいろな本を買って来てもらい、それを読んで気をまぎわらせた。

2008年07月07日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part25

<25>「青春返せ」の原告が登場
 
 二度目のマンションに移り、しばらくたった頃、Kさんという女性がやってきた。なんでもずばずば口にする性格の人で、「青春返せ」裁判の原告をしているという。反対活動を活発にやっている脱会者である。
 反対派は、手ごわい相手には相当強烈なメンバーをぶつけてくる。本人が心の底でどう思っているかを吐きださせるためである。多分この人がその役割の人に違いないと、そのとき思った。
 Kさんは、自分が監禁されたときの話を長い間話し続けた。「私は青春返せをやってるけど、仲間を救いたいと思っているだけ。気が狂った人だって知っているんだから」「原理なんて滅茶苦茶よね。でも私は霊体験したので、最後までそれが引っ掛かっていたわけ」「私はもともと看護婦やってたのよ。がん病棟に勤めて、患者さんの死に立ち合ったこともある」など、とにかく思ったことをどんどんぶつけてくるのだ。
 その後、私にいろいろと質問とも恨み言ともつかないものをぶつけて来た。「あなたもオメデタイわね。マンションの場所を知らせても、(CARPから)助けになんてくるわけないじゃない」「統一教会なんて、希薄な人間関係で縛るだけだわ」。
 この人は、「人間同志の心のぶつかりあいこそが、生きている証しである」、という強いポリシーを持っているそうだ。こうした人物が、離教させるため監禁を奨励するということが、なんとなく理解できる。監禁というのは、なるほど「心のぶつかりあい」がある現場なのだ。
 だから、口実さえあれば、どんどん監禁をするべきだ、その方が、より人間らしい生き方なのだ、ということである。この人の場合、それが善か悪かより、「人間らしい生き方」を優先するのである。
 適当に受け答えしていると、Kさんが「なんか、あなたを見てると、全然本気になってないじゃない」とピシャリと言った。「周囲はみんな、真剣なのよ。あなたがのらくらしていて、どうするの。ここであなたの人生の問題を真剣に考えないとダメなのよ」と、言葉が続いた。
 後で聞いたところによると、Kさんは監禁現場ですべての人に対してこの言葉をぶつけるらしい。これがKさんの決めぜりふで、この言葉をぶつけては、本人が心の底でどう考えているのかを吐き出させようとするのだ。
 確かに、ここで彼女の言う「心のぶつかり合い」を行なえば、その場では非常に手応えを感じ、腹の底にあるものを話し合って、満足感を得ることはできるだろう。反対派はこのような手を使って、本人の「親に原理を伝えたい」という思いを巧みに利用して、心の中にあるものを全て吐き出させ、すべてを相対化してしまう。そして、永遠の魂に関わる問題が、いつのまにか放りだされてしまうのだ。
 ここで私は、前々から思っていたことをぶつけた。今までは、家族の間にヒビが入ると思って黙っていたのだが、とにかくもう私はこの異常な環境をはやく終わらせたかった。言わずに済ませれば、と思っていたが、仕方がないと判断した。
 私は継母に向かって言った。「見ず知らずのあなたが、ぼくのことを心配してるなんて思っていない。あなたは家族のぼくに対する愛情をダシに使って、周囲に“ヒデオを救ってくれてアリガトウ”と誉めてもらいたいだけだ」。
 継母の顔がこわばる。「どうしてこの家の人はこんなにひねくれているの。もう我慢できない」と継母が叫んだ。
 継母は後妻として、いろいろ肩身の狭い思いをして来たであろう。本人の心の中では「なぜ自分がこんなことに付き合わなければならないのか」という不満や、「ヒデオさんを救出すれば、きっと家族が一つになる」という淡い希望が交錯している。脱会者らのいる前で、面と向かってこうしたことを言われて、継母は相当ショックだったに違いない。
 なんでこんなことまで言わなくてはいけないのか、と私は情けない思いがした。Kさんは「ようやく家族が本音で話し合うようになりましたね」と言って帰って行った。しかし逆にこれ以降、私の家族間には大きなヒビ割れが走ることになった。Kさんは、結果的に言わなくともいいことを表に出させ、私の家族をバラバラにしてしまったことになる。
 Kさんはこの後一度もやってこなかった。

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