挨拶
統一教会員への拉致・監禁被害 をご覧いただきありがとうございます。 
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2008年02月01日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part15

<15>
●説得作業の開始
 
七月頭になって、松永牧師がやってきた。最初の訪問は簡単な雑談で終わり、松永氏は二、三の資料を「読んでおくように」と言って帰っていった。
 数日後の夕方、第二回目に、松永牧師が脱会者を伴って再びやって来た。
 松永牧師は「ヒデオ君、前回の資料は読んだかね」と聞いてきた。私が「はい、ヒマなんで何度か」と答えると、松永氏は「どうですか、感想は?」と、猫なで声で聞いてきた。
 私が「いや、ここではちょっと言いかねますが」と言うと、ここで急に松永牧師が激昂した表情になり、高らかに叫んだ。「前渡した内容は、全部本当だ!こんなことをする奴が、メシヤであってたまるものか!」。私は、本人の態度の豹変ぶりに、まるで演劇でも見ているかのように感じた。
 ここで、松永牧師の「マインドコントロール」理論の説明が始まった。
 松永氏は携えていた『原理講論』の序論の部分を開け、「ここにはなんと書いてあるかね」と聞いてきた。
 私が「無知は死の影である、ですか」と気のない風で答えると、松永牧師は「そうだ。君は誤った情報によって、誤った認識を持たされているんだ。統一教会は、原理の世界に追い込んでから、恐怖心で縛って、そこから出られなくしてしまうんだ。ヒデオ君、キミは正しい知識を知って、正しい認識に立たなければならない」と高圧的に言い放った。
 そして、人生に対する不安をあおって原理の世界に追い込む、極限状況に追い込んで神と出会ったと思わせる……といった話が続いた。そして「見たところ、君は初対面から私の話をきちんと聞いているようだ。原理に染まりきってはいないようだ。大丈夫、すぐに抜け出すことができる」と話を結び、帰っていった。この時の話は二時間ほどだったと思う。

●松永氏の発想
 
松永氏の三度目の訪問は、最初の時から数えて一週間目ぐらいだったように覚えている。
 松永氏は『原理講論』の創造原理の下りをひとしきり批判し、詩編を例にあげて、・神は人間の理解力をはるかに越えた偉大な方である。人間は管理者に過ぎない・という話をダーッとしてきた。
 私が「ふーん、そうなんですか」と感心したように相槌を打つと、松永牧師がしみじみとした感じで言った。
 「私も若いころ、何を基準に人生を考えたらよいのか、真剣に悩んだよ。そして出した結論が『聖書のみ言のみが唯一、神に与えられた、人間のより所となるものだ』ということだ。これが一番バランスの良いものの見方だ」。
 松永牧師の考えは、「個人が神体験をすることは不可能である、しかし神が人間に、ただ一つ普遍的な確かなものとして聖書のみ言を与えて下さった」というポリシーに貫かれているらしい。このポリシーを守ることが救いにつながる、と信じているのである。これを言い換えれば「全ての神体験とは、思い込みに過ぎない」ということである。ここが松永氏の頭の中では「マインドコントロール」理論と結び付いているらしい。
 松永牧師はこの頃、話のついでに「テレビによく出ている有田芳生氏とは友人でね、今度八月に、新潟に呼んで講演会をやろうと思ってるんですよ」とも言った。
 …この時は、私もその頃にはマンションを出ているだろう、と思って聞いていたが、その期待は裏切られた。そして、このセリフは、後でさまざまな意味を持ってくることになった。

2008年01月31日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part14

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●反対牧師の登場
 
 七月に入ったある日のこと、マンションに禿げた頭の中年の男性が訪問してきた。私は一見して、高校の社会の先生かなにかのような印象を受けた。たれ目と度の強そうな眼鏡、短い眉毛などから、パンダかアライグマを連想させられた。手には、黒いナイロンの手提げ袋をもっている。何か分厚い本が入っているらしい。
 その男性は家族と目配せをしたり、上から下まで私をじろじろ見たりした。家族は、私を壊れ物でも扱うように心配げに見ている。私は、周囲の雰囲気からこれが反対牧師だと直感し、緊張した。
 これが日本同盟キリスト教団所属、新津福音教会の松永牧師だった。私はそれまで、その牧師のことは何も知らなかったが、後で聞いたところによると、優秀なディプログラマーであり、全国から・相談・を請け負っているとのことだった。
 私は、その時「やっぱり家族は最初から牧師と相談の上やっていたのだ……」と思い、改めてショックを受けた。それまで家族は、私に対して「反対牧師には連絡していない」と説明していたのだ。後で家族が話して来たところによると、家族は監禁を始める二年も前から、家族全員が松永牧師の主催する、父兄会なるものに参加し、さまざまな講習を受けていたのだ。
 
松永氏が「どうですか」と言いながら机に座ると、すこしオーバーな素振りで私を見た。その態度には「負けるものか」というプライドのようなものがにじみ出ているように感じられた。手に持っていたナイロン袋を開けると、中に入っていたのは『原理講論』だった。
 私が「『原理講論』はよく読まれるんですか」と聞くと、松永氏は「……まあ、君達よりは、詳しいよ」と答えた。さらに私が「最初にお聞きしますが、あなたは統一教会に反対する立場の人ですか」と聞くと、松永氏は「……それは、言えない」と言いにくそうに言った。それから雑談が続いた。
 松永氏は、くせのある話し方で、得意になって話すときには少し口を突き出すようにする。少し話した感じでは、性格的に一癖も二癖もある、面白いおじさんである、という印象を受けた。
 松永氏は二、三の資料を「読んでおくように」と言って帰って行った。
●ノックの音
 ちなみに、松永牧師はノックの音も他の人と違うので、すぐに判別することができた。監禁されていた期間、私はノックの音だけで誰が来たのか大体見当がついた。
 これは、長い間閉鎖空間に閉じこめられて、精神が敏感な状態になっていたことと、とにかく周囲には何もないので、ノックの音一つにも相当興味が行ったためだろう。
 マンションではドアを開けるための合図も決められていて、いつも「コンコンコン、コンコンコン、コンコンコン」と、3掛ける3回ノックしていた。モールス信号の「SOS」と同じである。このノック一つとってみても、それぞれの心理が現されているようで、興味深かった。
 大抵の脱会者は、少し遠慮がちな音で、「まあ、聞こえなかったら、それでもいいや」というような感じである。
 家族のノックはせわしない感じである。「早く開けて。誰か来るといけないから」という追いつめられた気持ちがにじみ出ているように思われた。
 これらに比べて、松永氏のノックは音が乾いた感じで、一つひとつゆっくり区切るようである。また、最初の間隔に較べ、終わりの方はいつも少し遅めになる。私は、このノック一つにも松永氏の「負けるものか」「文句あるか!」という自己主張がくみ取れるように思った。

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part13

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 依然として脱出の機会が見つからないまま監禁されて、二十日近くが経過した。
 私は、血でメッセージを書く作戦を思いつく。何かのすきを突いて、窓の外に投げるチャンスがあるかも知れない。まず、そーっとゴミ箱の中から手のひらぐらいの大きさの紙を拾う。当然、監禁場所に刃物などを置いてあるはずがない。それでとがった針金を見つけだした。
 トイレに入って靴下を下げ、思い切って足首のあたりを針金で何度かガリガリと引っかくと、血がにじみ出た。それを指に付けて「カンキン・たすけて」と書く。
 外に出られるチャンスを待ちつつ、この血文字をポケットに隠し持っていた。しかし、偽装脱会のメドがついた時点で、見つかるとかえってまずいので、トイレに流して処分してしまった。今思うと、記録として残しておけなかったのが残念だ。
 六月末、父親がノートと筆記用具の入ったカバンを返してくれた。今度は窓に張り紙をする方法を思いついた。
 七月一日の朝、目が覚めると、隣の部屋では父の古い知り合いが二、三訪ねてきて、父と話し込んでいる様子だ。私のいる部屋のふすまは閉まっているが、話に夢中で私のことはあまり意識をしていないように思われた。
 他の脱出に成功した人の話によれば、監禁現場では本人の行動を二十四時間監視するため、ふすまを全部取り外すこともあるそうだ。また、トイレにまでついてくる親もいると聞く。私の場合、親はそこまではしなかった。
 親としては、子供への心配と不信とが入り交じった心境で、四六時中、子供を監視するということが異常だと感じていながら、自分でもどうしようもないのだろう。
 私は、音を立てないように気をつけながら、ノートの一ページに一文字ずつ「監」「禁」「助」「け」「て」と書き、原理研究会の連絡先もあわせて書いた。隣の部屋の者たちはまだ気づいていないらしい。
 …………

 以前怪我をしたとき、家族からもらった治療用のテープがある。私はメッセージを書いたノートをテープでつなぎ合わせ、外から見えるように窓の内側に貼り付けた。
 もちろん、こんなことをしても外との連絡が取れる可能性はほとんどないことは分かっている。私としては、これで脱出のための努力にケジメをつけたかったのである。

 家族に暴力を振るって出ることなど、私にはとてもできない。だから、外部と連絡を取って、救出を待つという方法がダメなら、手っ取り早く反対派の人間に会って、彼らの言いたいことを聞いてやる以外に道はない。
 こう例えると、何か傲慢なように聞こえるかも知れないが、イエス・キリストはゲッセマネで、「十字架を避ける道はないのか」と祈られ、それが不可能だと悟られてからは、神のみ旨として、進んで十字架の道を選ばれた。私自身もそうありたいと思ったのである。
 すぐに張り紙は見つかり、はがされてしまった。隣の部屋で寝ていた誰かがこちらの気配に感づいたらしい。父たちは良心の呵責があるからか、私が張り紙をしたことを責めようとはしない。このとき、私は物理的な脱出を完全にあきらめた。以後も脱出のための努力は一切することはなかった。
 父がまた「牧師さんを呼ぶが、英雄は会っても構わないか」と尋ねてきた。私は「呼びたいなら、呼べばいいんじゃないの」と半ばうんざりして答えた。父は「英雄の気持ちが大事だから……」と口をもごもごさせている。結局、私は積極的な気持ちではなく、「(父に何度も聞かれて)面倒だ」という気持ちから、牧師に会うことを承諾した。翌日、松永牧師と対面することになるのである。

2008年01月30日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part12

<12>私の祈りと決定

●み言で裁く脱会者たち
 
 私が監禁されて、一つだけどうしても知らなければならないと思ったことがあった。それは、今の私に対する天の願いがどこにあるのか、ということである。
 最初の頃、マンションに訪ねてくる脱会者は口々に「これも神の与えた環境なんだから、堂々と親を説得して出ていけばいい」と言ってきた。しかし、私は、将来に対する見通しも考えず、ただ自分の信仰を過信して信仰的にマイナスの内容をずっと聞かされ続け、みすみす脱会へ追い込まれるようなことになるのが神の願いであるとは思わなかった。
 脱会者は、ほとんど全員が「周囲を堂々と説得しよう」と考えてそれを実行した結果、離教した様子を話してきた。子供が親を説得するなど、並大抵のことではないのである。私は、一人で親を説得できるほど、自分に信仰や人格が備わっているとは思わない。逆に彼らは、自分を過信した結果、離教してしまったことを自分で証明している。
 私の選択は、最終的に偽装脱会という形になった。これについても、逃げただけなのだろうとか、ウソをついたのだ、と思う人がいるかも知れない。
 しかし、私の実感を言おう。
 周囲は勝手に監禁を始め、勝手に終わったのである。
 私は監禁中、特に脱会していると信じさせるために何かをしたという覚えはない。私は偽装脱会であることを何度も疑われ、そう聞かれた。私はその度に、反対派の言う内容を理解していることを示して、「これだけ分かっていれば、普通統一教会には戻らないんじゃないですか」と答えただけである。大抵は2、3ヶ月も反対派の言うことを聞いていれば、全て一通り聞き終わってしまう。あとはその内容を理解していることを示せば、向こうは監禁を続ける理由がなくなってしまうのである。

●家族をコントロールする反対派
 
 もし、監禁されて「ここで堂々と親を説得しよう」などと考えていると、半永久的に監禁は継続されていくだろう。なぜなら、家族は、本人に対する愛情ゆえに、反対牧師によって簡単にコントロールされてしまうからだ。本人が真剣に訴え、周囲がその話に感動しても、反対牧師や反対グループの父兄たちが統一教会への悪いウワサを一言言って揺さぶるだけで、親の態度はまた一八〇度変わってしまう。これを繰り返すうち、本人もやがて周囲を説得するのに疲れてしまうのである。
 家族の中で、本人と心情的に近い兄弟や母親はキーパーソンと呼ばれる。このキーパーソンは、最初のうち、本人にも理解を示し、監禁には反対していることが多い。しかしそのうち反対派の様々なうわさに操られるようになる。そして本気で本人のことを心配し、命がけで脱会させようとしてくる。そのペースに巻き込まれると、本人は「本気になっている家族に対して、申し訳ない。家族の私に対する心配は、私の信仰を守りたいという思いよりも強いのではないか」と感じるようになる。そして本人の信仰的内容はどんどん外に引き出して相対化され、最後には離教へ追い込まれてしまう。……これらはすべて、反対派の出している本に記載されていることである。
 脱会者からは、監禁されて断食をする人も多いと聞いたが、私は、断食は一切やらなかった。自分の気力がもたないだろう、と思ったこともあるが、こんな環境で断食をしても、自分の信仰を周囲に見せびらかして、自己満足で終わってしまうことにしかならないと思ったからである。
 ここで私は、確実に今の私に対する天の願いを知らなければならない、と思った。
 私は祈った。
 そして、いったん外に出るため具体的な行動を起こして、それで導かれないならば、この環境を甘受することが天の願いであると信じ、偽装脱会しようと心の中で決めた。
 まず、玄関のドアに行ってみた。一言で行くと言っても、たやすいことではない。最初の頃、玄関に通じる廊下は、誰かがふさぐようにして寝ていて、通れなかった。何日かたつと、次第に廊下を空けて寝ることが多くなった。そこである日、私は朝までずっと寝たふりを起きていて、朝5時ぐらいにトイレに行くふりをして立ち上がり、急に玄関まで走っていった。
 しかし、玄関のドアは、南京錠を使ってチェーンが短くしてあり、かなてこのようなもので壊すか、鍵を使わないかぎり開かないようになっていた。まさに万全の準備が整えられていることがわかった。鍵を手に入れるためには親に暴力を振るわなければならない、というわけである。
 寝床に戻ると、しばらくして周囲がいびきを立て始めた。周囲も起きていて、私が外に出ることをあきらめたのを確認し、改めて安心して寝入った様子だった。どうやら周囲は、私の心の内を知るために、わざと警戒を緩めたふりをして、出方を窺っていたらしいのである。「うまくはめられた……」と思い、思わずにが笑いが浮かんで来た。

2008年01月29日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part11

●反対派の作り出した・監禁地獄・

 私が監禁されて、非常に葛藤したことがあった。周囲を説得して出してもらうことは不可能。脱出も不可能。あとは、親を殴ってでも出る方法以外、全く選択肢がなかったのである。
 たとえ私がどんなに真剣に訴え、周囲がその話に感動して、親の方に迷いが生じるようになったとしても、反対派が何か一言言うだけで、親の態度は急変してしまう。周囲は私に対する愛情ゆえに、反対牧師によって簡単にコントロールされてしまうのだった。
 
 例えば、監禁の終わり頃の話になるが、ある時期、継母が「もうこんなところにいるのは嫌だ。富山に帰る」と言いだし、家族で話し合っていったん監禁を終わることになった。しかし次の日、継母は松永牧師に「せっかくここまでやったのに、今までの苦労が無駄になってしまう」と・諭され・て決意を翻し、また家族は監禁を継続することになった。また、後で家族から聞いた話だが、私の父は、監禁を行う前に、反対派の行っている講習会で「監禁しか方法はないのですか」と質問したところ、中心的な父兄から、「あなたは何も分かっていないのだ」とものすごい勢いで追求を受け、監禁を決意するようになっていったそうである。
 また、脱出経路について、私はロイヤルコーポ五〇五号室の風呂場とトイレをこっそりと点検してみた。しかし、ユニット形式で窓もなかった。天井からも抜け道はなかった。、完全に密室状態だった。一度、隙を見て玄関のドアのところに行った。しかしここにも南京鍵がかかっていた。親から鍵を奪わない限り外へ出ることはできなかった。
反対派は、結局、本人が何をやってもどん詰まりになるように仕向けるのである。そして最終的に親を殴ってでも出るしか、道をなくさせてしまうのである。私にそんな真似ができるはずがなかった。まるで親を人質に取られているような気がした。仮に親を殴って出たとしたら、反対派はまた「統一教会は親に暴力を振るえと教えているのだ」とザン訴の材料にするだろう。、
 
 監禁された統一教会員は、全員、こうした葛藤に苛まれる。反対派は、統一教会員の信仰的なところや、親を大切にしたいという思いに付け込んで、このような・監禁地獄・を作り上げてしまうのである。
 どうして反対派は、こんな風に家族を巻き込んで・監禁地獄・など作るのではなく、ストレートに説得をして、要件だけ話して終わることができないのだろうか。私は切実にそう思う。
 私の家族は全員、反対派の言うことを素直に信じ、私を監禁して、貴重な時間と、心情、労力、金(今回の監禁に、五百万円使ったそうである)、社会的地位などをまったく無駄に費やしてしまったのである。反対派は、この責任をどう取るつもりなのだろうか。
タグ:監禁 拉致
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