挨拶
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2008年07月10日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part28

<28>追い詰められた家族
 
九月中旬になると、もう親族と兄夫婦はマンションに訪ねては来ず、監禁を行っているのは父・継母・妹の三人だけだった。
 そして家族にも、それぞれ一人になってはぶつぶつ独り言を言う、ちょっとしたことで癇癪を起こす、といった精神的に危険な徴候が目立つようになった。残った家族は監禁に参加していない家族に対して「無責任だ」「逃げているんだ」などと責めるようになった。もう半分意地で監禁を続けているという感じだった。また、家族は私の個人的な性格をあげつらい、攻撃するようになった。「どうして牧師先生の言うことを聞かないのか」「どうして脱会者の人達の気持ちに応えてあげないのか」と責めるのである。そうでもしないと、もう監禁を続ける気力が湧いて来ないのだろう。すさんだ毎日が過ぎるようになった。
 周囲はすでに監禁を続けられる状態ではなかったが、松永氏はまだあきらめないらしかった。九月上旬、継母が「もうこんな環境には耐えられない」と強く言い、そこで、父・継母・私・妹で話し合って一旦監禁を終わることになった。しかし、次の日には決定が覆され、父から「お母さんが、思い直してまた残ることになった」と言って来た。後で継母が話してきたところによると、この日、松永牧師へ監禁を止めたいと報告しに行ったところ、「せっかくの今までの苦労が水の泡になってしまうので、続けるように」と説得を受け、思い直したそうである。
 しかし、またしばらくして継母が「やめたい」と言い出す。残った家族の間で「終わる」「終わらない」で議論になる。これが何度か繰り返された。九月二十二日、今度は妹が、それまで休んでいた大学に帰ることになり、ここでほとんど監禁は終わりとなった。
 九月二十九日、松永氏が訪問して来た。最初から数えると十回目ぐらいの訪問だったろうか。話はもう説得や議論と言うより雑談という感じであった。話が終わると、父が松永氏と共に外へ出ていった。父が帰ってきて、松永牧師と話し合った結果、監禁を一〇月一〇日ごろ終わることになった、と私に告げた。松永氏もさすがに「そうですね。仕方ないでしょう」と言った、とのことだった。これが松永氏の最後の訪問となった。
 監禁の終わる直前に、脱会者数人とカラオケに行くことになった。監禁を受けて以来何度目かの貴重な外出である。ビルの階段を上ろうとして、平衡感覚がおかしくなり、よろめいた。そう言えば、かれこれ百日以上、階段というものを使わなかったのだ。
 自分を含め、カラオケで平和に歌う脱会者たちの姿は、まるで仲の良い中学生がたむろしているような雰囲気だった。やることもなく、ただなんとなく集まって、それなりに楽しい世界ができている。カラオケでは最後にみんなで、「乾杯」を唄った。新しい人生の門出という意味を込めたのだろうが、かえってどろどろした情の垂れ流しのようなものを感じ、かつては神の為を思って純粋に歩んでいた人たちがどうしてこのような状態になったのだろうか、と心痛く思わざるを得なかった。
 そして十月六日、四ヶ月に及ぶ監禁が終了し、富山の実家へ帰った。

2008年07月09日

知られざるら致・監禁の現実 ロイヤルコーポ505号室 Part27

<27>情的試練

 私には、物事が自分たちの引いたレールのとおり動く間は良い顔をするが、一旦レールを外れようとする者にはどんどん締め付けをするという反対派のズルさが分かっていた。しかし、そんな中で感心させられたこともあった。
 
松永牧師は、たいてい夜11時ぐらいまで説得活動を行う。そして朝は5時、6時ぐらいに起き出して、脱会者たちと早朝祈祷会を行い、現在マンションにいる・脱会対象者・のため、一人ひとりの名前を挙げて祈るのである。私に言わせれば動機がかなりずれているが、脱会者達は松永氏のこういった熱意に感動し、また尊敬しているのである。
 またある時、私が松永牧師に、とある別の反対牧師に説得を受け脱会した知り合いに手紙を書き、「これを渡してほしい」と言った。二、三日後に松永牧師は「大事な手紙だと思ったので、速達で出しておきました」と伝えてきた。手紙の内容をこっそり見たという様子もなく、プライバシーをきちんと守ってくれたらしかった。これは情的な懐柔作戦というよりは、個人的な好意としてであるように感じた。
 また、私は信仰は失っていなかったが、情では、このまま離教したらそれもいいかも知れない、とよく思った。ここまま流されて行けば、それなりの幸せが手に届くところに見えている。そして「それでもいいかも知れない、もう疲れた」ともう一人の自分がささやいている。原理もメシヤも確信していながら、未来の約束より、見えるものがすぐ欲しい自分もいるのである。

 松永氏は、この間十日に一度ぐらいやって来た。訪問の度ごとに「文師は色情狂である」「韓国の食口は、性的に乱れている」といった話をしてきた。しかし何の証拠も出そうとはしなかった。脱会者はこういった話を何となく信じているらしかった。
 一番、怒りを覚えたのが、故人に対しての悪口である。松永氏はあるとき、統一教会に対して賛同的だったT大学のH先生に対して、もう故人であられるにも関わらずひとしきり悪口を言った後、「統一教会しか家族の面倒をみてくれないのだ」などと揶揄してきた。
 この時、私は松永氏の人格を決定的に疑った。何でも言えばいいというものではない。もし私なら、故人に対してこのような悪口は絶対言わない。それでも私は、怒りが込み上げる中で「そうですか」「そうなんですか」と答えるしかなかった。
 もう一つ印象的だったのが、和賀信也牧師のことが話題にのぼった時だった。松永氏は「和賀牧師は、マンションに来て説得をしたりはしないんだ。本人が話すと言えば、喫茶店ででも話すからな」と嫌そうな顔をして言った。私は、そんなことは私と何の関係もないのに、何故いちいち話すのだろう、と思いつつ聞いていた。
 あとで聞いたことによれば、自分がこんなに苦労し、危険を冒して、ある意味「汚れ役」を引き受けて、「救済活動」をやっているのというのに、和賀牧師は楽をしているということで、周囲の反対牧師からは嫌われているのだそうだ。
 松永牧師も、説得作業とは関係なく、ついこうしたことを言わずにはいられないのだろう。
 反対派同志で、このような反目というか、分裂がある。説得作業の「舞台裏」を垣間みた思いがした。

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